股・戯れ言
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料理地獄ジャスティース(いましろたかし調で)

うちの会社の裏は、潮風の吹きすさぶ運河というかほとんど海なのですが、その運河を見るともなしに外でタバコを吸っていると、「こんなとこに何故そんな大きいのがいるんだ」と思うような魚がバシャンバシャンと跳ねたりします。
まあ、大体の場合、バシャンという音を耳にして、「ああ、今魚が跳ねたんだ」と気づくのです。水面にゆらゆらと広がっていく弧を見て、「なんだよ、目の前で跳ねてくれよこの野郎」などと思うのです。
今日はそのような機会が2度ありまして、いつもは気にも留めないのですがどうしても魚の跳ねる現場を目撃したいという欲望に駆られ、しばらく水面を眺めておったのです。
しかし、なぜか知らないが「このへんで跳ねるだろう」と張っていた視野の中ではどうしても跳ねてくれないんだな、魚は。必ず視野とは別のところで跳ねやがり、視覚よりも先に聴覚で跳ねたことを認識するばかり。
もう、そうなると、「魚VS俺」の始まりなわけで、延々と「ここで跳ねろ!」という競馬のような予想をやってしまいました。無論ひとりで。
待つこと10分弱。レースで言えば5R目くらいで、ようやく俺の目の前で跳ねた魚は小さいもので、跳躍力(っていうのか?)もあまりないのだった。
満足できるはずがありません。
万馬券ならぬ、万魚券が出るまで待つよ、俺は。
さらに5分弱。6Rに相当するあたりで、今度は目の前で2匹連続で跳ねたのだった。大きさはたいしたことなかったが、とりあえず満足をしたので魚VS俺終了。

そんな具合にさぼってました。うんこ、否、運河ドラマ。海を見ていた午前。むしろマリン・ガールズと呼んでくれ。(トレイシー・ソーン気取り)ヤツザキでございます。

さて。私は病的な負けず嫌い(劣等感が人の5倍くらいある)なので、バカにされたり罵倒されたことは次々に克服してきました。まあ、バカにするのも罵倒するのも主にうちの親なんだが。
まず「炭酸が飲めない」飲めませんでした。喉がシュワシュワする感覚がどうにもダメで。それなのに親戚が集えば必ずこの話題がえんえん続く。あからさまに他の従姉妹とは別にバヤリーズを用意される屈辱感。炭酸を間違えて飲んだ時に「ぐえ」となったのを腹を抱えて笑う大人たち。ぜってー見返してやる、と心に決め、今じゃ一番好きな飲み物はメロンソーダですよ。しかし、こないだの正月にジンジャーエール飲んでたらおばさんが「炭酸飲めなかったのにねぇ」と未だに言ってきたのだから根が深い問題だ。何年前の話だよバカ野郎。
そして「外に遊びに行かない/人見知り」幼少のみぎわはまったく外に行かない子供でした。母親に「なんで遊びに行かないんだ」と叫ばれながら殴られたこともあるくらいだ。で、小学校高学年くらいから家にいると怒られると思い、努力して外に行くようになり、今のよな「むしろ家嫌い」の遊び人が形成される。人見知りというのは未だにあるのだが、「人見知りはダメだ、喋れ、俺」という強迫観念が働くので人前では饒舌になるようになるのである。
そいから「運動ができない」うちの家庭は驚くほど運動能力が高い人間(母と妹)がいるので、50m走8秒台でも「遅い」と言われ、リレーの選手になったとしても「そんなのは当たり前だ」と罵られるよな具合。というわけで、俺はスピードでは勝てぬ、と悟りマラソン大会や持久走では努力の甲斐あって1位を取ったのだった。水泳も練習だりぃと思ってたが、「文科系の部活に入ってるようではダメだ、俺」と思って高3までいたのである。
それに関連することで言えばスノボもできなかったのでした。できる人たち4人に囲まれて「ここまで滑って来い」とスパルタ特訓をされ、泣きながら滑った時には「こんな思いをするくらいなら一生滑らない」と思ったんだが、滑れないままだとかっこ悪いし「泣きながら滑ってた」というのを広められたくなかったので過剰にスノボに出かけ、今に至ったのだった。
ああ、そいからなんでこの会社に入ったのかってのも負けず嫌いの賜物かもしれん。理系を目指していたんだが文系の大学に行ってしまったんで、仕事は理系のことをやらねばダメだという考えも多少あって今の会社だ。むしろ肉体労働系なので理系の意味間違ってるけど。
あと小さいところでは、私はまったくゲームをやらないで生きてきた人間なので昔、ゲーセンに行く/行かないで喧嘩した事があるのだが、なんかそれも「ゲームをする人間>ゲームをしない人間」と思い、今はする側になったというのもある。
とにかく、「できない=劣っている」なのである。「みんなができて当たり前のことができないのはバカだチョンだ」という信条があるのである。信条なのか刷り込みなのかわからないが。「こんなの簡単だよー」とか「なんでできないの?」と言われるのが今でも心底いやだなぁと感じる。トラウマか。それもあるが、「自分だけができない=和を乱している(遅れをとっている)」という状態に不快感を抱くのである。耐えられん。
というわけでダメだバカだチョンだの部分はすべて負けず嫌いの導火線に火がついて、気力のみで克服してきた。25年間生きてこられたこと自体気力みたいなもんだ。(それを上回る惰性が存在するんだが)

しかし、俺にとって料理というのは、もっとも「できない」ことでありながら、気力で克服するには至らなかったのである。「今に見てろ」とメラメラ不屈の闘志を燃やすこともなかったのである。
「炭酸が飲める」や「運動ができる」はとるに足らないことである。もっと言えば「人見知り」だって普通に巷にたくさん存在しているのだから、克服する必要はなかったのかもしれない。しかし料理はそれらとはレベルが違う。一目置かれるような立派な「武器」である。ことに女性であれば「年頃になったら料理は人並みにできるものだ」という認識が存在するくらいだし。私の親も偏った教育をしてきたとは思うが、「料理はできなきゃダメだ」ということは人並みに教えられた。
しかし。
私の作るものはマズイのである。料理とは呼べないんである。
「どこをどうすればこんなにまずくなるんだろう」というようなまずさ。「できないことがあると罵倒する/殴る/笑う」ということをしてきた親でさえ、無言で手をつけなくなるという具合。(最大の屈辱)ある日の晩に作らされたことがあるのだが、家族の誰もがほとんど手をつけずに食卓を去っていったことがある。
ああ、家族が罵倒しなかった代わりに付き合ってた男には罵倒されたな。死んじまえまで言われたんだった。確かにその時の飯はまずかったんだよな、自分でもビックリするほど。(思えばマズイ料理を作ったら死ななきゃいかんのか、と思った時に「だったら死にたくないから作らん」と決意したような気がする)で、それをどうにか克服しなければならないのだが、「よし!克服してやる」という気になれない。なんというか、料理にまったく興味がないのである。微塵も楽しい行為に思えなかったし(料理を作るということは義務だと思っていたから、最初に「料理が趣味」の人の存在を知った時は驚いた)、実際に作るものもまずいので楽しくない。よって、料理の作り方などを覚えようと思わない。少しは思ったほうがいいのは圧倒的な事実なんだが。まあ、いつまでも実家にいるわけにはいかんだろうし(居そうな気がするが)、老いてきたら自炊も余儀なくされることだろう。しかし、自分で食うものならば、その時はなんとかするんじゃないのか俺だって。(至極能天気な考え)
というか、「料理ができる」というのは「事実」というより「正義」である。圧倒的に当たり前な正義なのだ。もっと正確に言うと「他人が食う料理を作ることができる」というのこそがイコール正義だろう。
そして、私はその圧倒的な正義をなぞることができないのである。
「字が下手」「音痴」「絵が描けない」「数学ができない」と同じように「料理ができない」というものだってあってもいいように思えるんだが、どういうわけか料理は「やれば誰でもできる」とか「誰でもやってみれば、できて当たり前」みたいなところに並べられている(そこが絶対的正義たる所以)。
しかも厄介なことに「料理ができる」の前にはよく「実は」なんて言葉がつけられることが多い。なんだよ実はできるって。じゃあ、実はできないはなんでナシなんだよ。
それに、
「料理ができません」
「カンタンだよ、絶対できるって」
などという会話。もう、これがホントにつらいんだ私は。
不愉快千万!
できないんだよ。
知らないんだよ。
誰でもできるって誰が決めた価値観なんだ一体。
まあ、いちおうは人並みに家庭科の授業も受けてきたはずなんだがな。人並みに台所手伝いとかやってたんだがな。甘やかされて過保護とかは決してないんだがな。

そんだけ絶対的正義の料理ですから、それを拒否した時点で女としての評価も、もう、いいと諦めたわけである。克服心ももういいや。向上心ももういいや。料理のできる女はゴマンといる。そのうえ料理がうまい女もゴマンといる。ありがたいことです。彼女らのおかげでおいしいごはんが食べられるのだから。
いや、ホントは女だけじゃなくて、料理のできる男だってゴマンといる。そして、男の場合は料理のできない男もゴマンといる。
ここまでの三種類が「普遍」であり「正義」にカウントされていると言いたい。
そして私のよな、料理のできない女もわずかながらだが存在するのです。まあ、正義の前じゃいるもいないもわからんもんだが。
「料理ができる人=高評価」という価値観こそが最大の正義なのかもしれない。まあ、どっちが正義でもいいけれど。どっちにしろ正義から逸れているわけだし。自分で食う分の料理は作れるようにします。だから、お願いだから、料理という名の正義よ、私を責めたりしないでおくれ。辱めないでおくれ。

ああ、なんか「料理」って言葉見るだけでも胃がムカムカしてきた。
単に胃が痛いのが続行中なだけか。
2005年01月19日(水)

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