股・戯れ言
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くちびるは内臓扱いネットワーク

まずは昨日の日記の股・言い訳。
もうこの日記書いて載せてしまった時点で「ああ、私は『女性的役割分担思考』の男女を敵に回したな」と思っておりました。だいぶ多いぞこういう男女は。とりわけモテ部分からは降りたも同然だ。
しかし、それも人生。と、思い、尼寺行きまで覚悟していたのだった。たかが料理だけれどやっぱり社会的絶対正義だからな、それくらい大げさに考えたりもしましたin山手線。すぐに考えるのはやめて小説読んでたけれど。(それにしてもケッチャムはなんて面白いんだ!ビバ!)
そんなわけで早々と帰宅して胃の痛さにかまけて寝ていたんだが、某所でみやらさんが私の昨日の日記に対するアンサーというか感想というか思うところを書いてくださったのだった。
寝起きにそれを読んで、泣いてしまいました。
同情して欲しくて書いたわけではないし、みやらさんも決して同情は書いてはいないのだが、なんというか、「他人には理解されないだろう」という捨て鉢な気持ちだったので、それに応えてもらえたという事実に感無量でござんした。
ああ、稚拙な言葉しか浮かばなくて申し訳ない。みやらさん、愛してるワ。

というわけで、70000ヒットも超えましたので2日連続更新。
エンピツに移ってきて3年弱。やっとの思いで7万ですよ。大手サイトとは違ってうちはネットの隅っこで細々運営ですから、それでも7万を超えたというのは本当にありがたいことです。こんな読みづらくて俺の体重のように重い日記を読んでくれてありがとうございます。これからもどうぞよろしく。
70000ヒット節目で今までと変わったことといえば、特にはないんだが、私の会社の仲良し女子がこれを読み始めたということくらいでしょうか。
しかし、ネットとは関係ないところで仲良くしている人に
「実は、ネット上ではヤツザキと呼ばれておるのですよ」
というのを告白するのはなぜこんなにも恥ずかしいのだろう。罪悪感を感じるのだろう。もう6年もこんなことをやっているし、「ヤツザキ」として知り合った人間のほうが多いし恩恵を預かっているのに。そして本名の私とヤツザキには隔たりがまったくないっつうのに。普段の俺もヤツザキも等しく酔っ払うとタチが悪いぜ。等しく鉄郎似だぜ。
名前なんていうのはただの表示なだけであって、たとえば親が「篠崎ヤツザキ」などという名前を名づけていたらこのような「ヤツザキが恥ずかしい」という考えは浮かんでこなかったんだと思う。まあ、そんな名前つけられたら普通に恥ずかしい名前だなと思うけど。いじめられること必至。
ということは、私が恥ずかしいと思うのは名前ではないんである。
こんなに恩恵を受けているのに、今更言うのも申し訳ないんだけれど、「ネットをやっている」ことが恥ずかしいのだろう。
と、書いたそばからネットに対して謝りたくなる気持ちでイッパイだ。ほんとにごめん。ネットは俺の人生にいろいろな刺激をもたらしてくれた恩人だよ。だけど、だからこそあえて言わせてくれ。ネットよ、しばらく黙って俺の話を聞け。
たとえばネットとは関係ない友人と、ネットで知り合った友人と、私が会うとする。そういう時に、ネットとは関係ない友人が「ふたりはどうやって知り合ったの?」と尋ねてきたりするわけだが、その際に使われる
「ネッ友」
という言葉が私の拒否反応を引き起こすのである。確かに事実だ。ネットを通じて知り合ってるんだから。でもきっかけはそれかもしれないが、ネットとは関係なく仲良くやってるんだからそういう言葉は介在しなくてもいいように思えるのである。中学や高校、大学の時、あるいは会社の友達を「中友」とか「高友」とか「会友」と言わないのになぜネット友達だけは「ネッ友」という言葉で後々までも説明しなければならないんだろう。
そしてその「ネッ友」の響きが漂わせるマイナスイメージ。こいつだ。
こいつが、物凄く最先端でイカすイメージを漂わしてくれればこんなこと考えないで済むのに。
先日、会社の女性の方々と昼を食べにいったんだが、
「××さんってーチャットで知り合った人と結婚したんだってー。そういう出会いもアリなんだよねぇー」
という話題になった。彼女は決してネットを介した出会いに否定的になっているわけではない。むしろ肯定的な意味合いでこのような会話が交わされた。しかし、こういう会話にビミョウな「ネットマイナス感」は含まれているように思われる。
チャットで知り合ってなかったとして、たとえば職場とか、友人の紹介とかには「そういうのもアリ」という言葉は出てこないだろう。
つまり、ネットというのは彼女の思考の中では「なかなか思いつかないもの」なのだと思われる。非日常のツール。
ああ、もう、こんなにネット文化大爆発の時代なのに、ネットのことを非日常と言い切ってしまうのは歯がゆいよ。申し訳ないよ。
でも、やっぱりネットは世間一般的には「非日常」なのである。飯食ってうんこしてテレビ見て電話かけて、と同じラインに「ネットを見る」というのは並列する存在なのにな。メールだってこんなに世間に馴染んでいるのに。
と、ここまで書いてハタと気づいたんだが、ネットは「非日常」であって、「情報受信」のツール、というところで認識が止まっている人が多いのかもしれない。
送受信のツールにまで至っていたいのかもしれない。だから、「ネットでニュース見た」などはごく日常に行われていても、「ネットで人と知り合った」というところは思考外になるんではないのか。よくわかんないけど。
あと、ベタすぎて書きたくなかったんだけど「ネットで何かを書く」というのは非常に匿名性の高い行為なので犯罪方面のイヤーなイメージが多いしな。犯罪まではいかなくとも2ちゃんとか、ああいう匿名後ろめたさ系のものが。

と、ネット検証はともかくとして。
それでも私はネットで知り合った出会いにはいろいろと感謝していますよ。
ネットがなかったら私なんぞはいつまでたってもモラトリアムで出口がなくて毎日ベッドから起き上がるたびに憂鬱な気分になってるような(って書いて思ったけどベッドから起き上がるたびに憂鬱なのは今もだ)「おもしろいことなんてなんにもない毎日を過ごす」OLをやってることだろう。
ネットは日常なんだよ俺にとっては。日常過ぎて在るのが当たり前だし、些細な仕事だが私の生業もネットワークなわけだし。
ネット上にも出会いはたくさんあるが、ネットワークのお仕事のおかげで地方に飛んでいろんな出会いにありつけたりもしているのだ。そして当然ながらネットとは関係ない出会いもある。それらはすべて等しく私に還元されているわけだ。
だからわざわざ「ネットだから」とか言いたくないな、私は。
じゃあ「ヤツザキ」ってのも恥じるなよ、と逆にネットにこづかれそうだが。


あーなんか久々に2日連続日記を書くのは楽しいな!
勢いに乗じてもう一丁(高田総統)書いちゃおうかしら。仕事しろ俺。
つか、本日は赤坂のOLたちと飲みなのです。行っていいのか俺が。
「今年はもう、日本酒しか飲まん!」と宣言したのに、きっと日本酒はないところなんだぞ。大丈夫なのか。
2005年01月20日(木)

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