やっとS君にお線香を上げに行った。 実際に彼の遺影を目の前にすると、なんと言ったらよいのかわからない。 恥ずかしいときに無駄に言葉を重ねてしまうように、語りかける言葉を見つけあぐねていた。
江原氏の本に書いてあったことを、行きの電車からずうっと考えている。
−実は死が悲しみなのではなくて、生きること自体が苦労の連続という悲しみなのだ。死を迎えた魂は「お疲れ様」と言って迎えられ、産まれてゆく命は「これから学ぶために、たくさんの苦労をするんだろう。かわいそうだけど、頑張っておいで」と見送られる。− といった内容のこと。
魂だとかなんとか、名前をつけると途端に胡散臭くなってしまうが、この考え方自体は私はすんなり理解できる。 そして、中島らもが書いていたように、実は生と死はそんなに遠くないのかもしれない。
お父さんお母さんと3時間近くも話していて、なんとなくそういうことが伝えられればいいな、と思ったが、やっぱりぐるぐるとことばが空回りするだけだった。 私の生死観を披露したところで、どうにもならないだろう。 もっとも身近な肉親を亡くした悲しみは時間が経ってもいえることはないだろう。 ただ、S君もおじさんもおばさんも私も、本当は今だってそんなに遠いような気がしないんです、となんだか言いたくなったのだ。 それはかえって、身近な人を亡くしたことのない人間のセンチメンタリズムで、身勝手さ、無知さなのかもしれない。
一年か。 あー私はまだまだダメだよ。 S君みたいに、皆に好かれて皆を受け入れてあげられるようなひとには、まだまだなれそうもない。
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