もんすん日記

2002年03月03日(日) 介護初体験/ふきのとう祭り

能登半島から帰還。
滞在も一泊と短く、行きはおばの車で母、妹と4人で5時間喋りっぱなし、かえりは汽車の中で完全に寝ていたので、あっというまの週末だった。本当は明日も休みたかったんだけど、金曜から派遣さんが来ており社長もまだミラノなので、流石に一人にするわけにはいかず、しぶしぶ帰ってきた。こういうところが不自由。電話番だけしてもらって休もうかと散々悩んだけど、会社に勤めている以上しょうがない。どうせ無駄な会議をやっていると思うとムカムカするが。

おじいちゃんは頑固なうえボケ気味なので、看護婦さんを相当てこずらせているみたいだったが、なんとか持ちこたえてくれていた。見るたびに小さくなっていて涙が出る。今年92なので長生きしているほうだが、あんなにしゃんとしていたじいさんが、酸素や尿のチューブをつながれて、見られたくないと何度も勝手に取り外すのは痛々しい。早くようならんかな。
同じボケでも、向かいのベットのじいさんは「元気系ボケ」(勝手に命名)で、こちらが祖父に「おじいちゃーーん」と話し掛けると、間違えて向かいのじいさんがその都度「はーーい」なんて元気良く返事してくれるものだから、苦笑した。神戸が云々と話していると「こうべーー」とやまびこのように聞こえてくる。

しかし、田舎のご近所さん、親戚というのはほんとに心強い。今回は祖父母とも入院したもんだから、家がもぬけのからなんだけど、誰彼とやってきて毎日そうじしたり、猫の世話をしてくれる。見舞いも一日4回くらい来てくれ、あれこれ世話を焼いてくれる。私達が来た時も食事がつくってあり、あれ食べるかこれ食べるかと歓待してくれた。
叔母曰く、田舎の人たちは軽く「じいちゃんをお願いね」と頼んだだけでも、「任された以上はなんかあったら自分の責任」とばかりにとにかく一生懸命世話してくれる。こんな地域で老人の「孤独死」なんてありえないだろうな。

じいちゃんが今朝うわごとのように「太鼓太鼓〜」というので何事かと思ったら、今日はお宮で特別な祭り(ふきのとう祭り)があったらしい。じいちゃんはお宮を守る神主で、今日儀式に出られなかったのが相当残念だったようだ。このお宮というのが、私は代代ここにあったと思っていたのだが、もとは戦乱の頃、先祖が丹波からご神体のみ抱えて逃げてきて、ここへお宮を作ったと初めて聞いた。しかも一度上杉謙信の家臣に焼かれ、今は人目をさけるように、大きな階段を上ったてっぺんに再建されている。古い書物を一度読んでみたいんだけど、とても読める状態じゃないらしい。

その「ふきのとう祭り」、問答があったり、神様へふきのとう、うどを食べてくださいと話す場面があったり、是非見たかったのだけど、私は今日帰ることもあり、病院でひとりじいちゃんの介護を任された。少し手伝っただけだけど、介護は大変だなと実感した。毎日介護をしている人の気持ちがほんの少しだけわかった。ご飯食べさせるのも、着替えも、ちょっとしたことが重労働だ。

暖かくなったら、またゆっくり能登へ行こう。

>>ayacom
女子高生の会話はおもろいよな〜。電車で高校生が喋ってるとウォークマンはずして聞いてしまう。特に男子校生がときどき信じられないくらいあほなこといっとる。アブトロニクスてジェリーが高いらしいね。

>>tanishiさん
ブルディガラ行ったのは月末なんで木曜なんですが、給料日後というのがあったか〜。雰囲気はいいけど確かに高いですな。5000円ちょっとずつでおさまるかと思ったら、一人一万円くらいでした。まあ、そんなもんなのかな。
アルファロメオって高いんですね〜。外車ってどれもこれも高く思えるけど。


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