水曜日の続き.もと阪大社研の先生の薫陶を受けてしまったせいか,とりあえず他人と違ったことを言ってみないと,という気になったりならなかったりなんですが.えーと,実行するのは意外と簡単です.勉強会やミーティングで,まず手を挙げましょう.日本では真っ先に手を挙げる人というのはあんまりいないので,発言の機会を得ることは簡単です.発言の機会を得たら,「えぇとそれはちょっと違うと思うんですけど…」と言ってみましょう.ここまで言ってしまえば,引っ込みがつかなくなってしまうので,ありとあらゆる知識・記憶が総動員されて,意外とそれっぽいことが言えてしまうものです.「それは違う」という表現がキツイなあと思う向きには,「私が理解していないせいかもしれませんが…」などという表現もあります.ぜひご活用ください.「中身のない樽ほどうるさい」などと言われるかもしれませんが,そんなことを気にしてはいけません.「雄弁は銀」というではありませんか.なお,いまは競争社会が好まれる御時世なので,所得再分配賛成・累進課税万歳といった感じの文献を読んでおくとよいでしょう.心配要りません,数年後にはケインズが復活します.と,総研時代の尊敬する上司がおっしゃっていたので間違いありません.ええとまあそんなことはどうでもいいのですが,水曜日には,地方財政制度について「地方交付税廃止・ナショナルミニマム確保」という話が盛り上がっておりました.公的年金制度と結びつければ要するに,「都市部の若者から地方の老人へ」という所得再分配が多く行われており,政治制度がそれを補強している,という話です.ECONOCLASMの筆者くんはこれについて政治学専攻の院生が書いた文章に共感しているようですが,ちょっと違うんでねえの,ということをつれづれなるままに.
まず,若い方が激動の時代に対応しやすいということですが,老人のほうが経験があるので対応はしやすいかもしれません.激動だからこそ「基本に戻って温故知新」は有力な対処方法でしょう.年功賃金にしても,かつてはインセンティブ付けのために有益だといって持ち上げられていたのではなかったですか?あのころのほうが今よりも激動でない,と誰が言えるでしょうか?だいたい,それが有効でないような企業は市場で淘汰されるはずでは?
結果としての高齢者層への所得再分配や,都市部から地方への所得再分配ですが,保険としての所得税,という古典的な議論を思い起こせば,これは非常にまっとうな政策だということができます.経済成長の存在を認めるならば,若い世代のほうが老いた世代よりも成長の果実を得られることは自明です.生まれる時点は選ぶことができませんから,世代を基本とした所得再分配を原因とするモラルハザードもありえません.たまたま早く生まれたからという理由で経済成長の果実を得られないのは不公平でしょうし,それを是正する手段があるのなら,使わないほうが変です.かの稲田献一先生が『季刊社会保障研究』でこのような話を年金についてしておられました.都市部から地方への所得再分配ですが,ティブーの議論にもあるように,引越しが可能である以上,所得再分配がいやなら,地方に引っ越せばいいだけの話です.引っ越さないということは都市部にいるほうが,再分配後でも効用が高いということでしょう.引越しにコストがかかる場合,地方部にいるほうが効用が低いにもかかわらず,引っ越さないという人が出てくる可能性があります.効用の比較ができるとするならば,再分配後でも(現状でも)地方のほうが効用が低いというのは十分考えられます.さて,たまたま地方部に生まれ育ったために愛着があり,引越しにそのコスト(望郷の念)があるばあい,生まれた土地は変更しようがないのですから,やはりモラルハザードの可能性を考えずに所得再分配を行うことができるでしょう.さらに,里村の社会的効用などを考慮すれば,都市部からの所得移転が過度に過ぎるなどとどうやって判定できるでしょうか?
また,都市部の人間が地方に行って遊ぶ可能性や,老人から若者(孫など)への家庭内での所得再分配(お年玉など)を考えれば,実質的な所得再分配がどれほどになっているかだってそんなに定かではないでしょう.
若者が選挙に行かないので意思が反映されないということですが,行かないということは白紙委任をしているのですから,それこそが若者の意思なのです.ほんとうにまずい状態になったら若者だって選挙に行くでしょう.だいたい,自分の1票が政治をかえるだなんて,本気で思っている人間が何人いるというのでしょう?若手政治家が若者を代表していないのは,定義上,明らかです.比例選挙区はどうかしれいませんが,彼らは地域で区切られた選挙区の代表に過ぎません.若者を代表する議員を送り込む方法は非常に簡単です.ぼくの師匠が昔から提案しているように,世代別選挙区にすればよいのです.そうすれば,たとえば20歳代選挙区の立候補者が,老人たちのかわいい孫を演じる必要はありません.その選挙区では老人に選挙権はないのですから.
老人は若者にはなれませんが,若者はいつか老人になります(なれずに死んでしまう場合もあります).このような制約条件の下でできあがった「年上を敬う」システムは,インセンティブシステムとして有効でしょう(体育会のシゴキの伝統みたいですが).孔子以来の(?)このような美しい伝統的な価値規範が失われていくことは悲しむべきことです.これもまた,「敬えない年上」が増えたせいかもしれません.
いやしかし,たまにまじめなことを書くと疲れますなあ.『ブラウン神父』シリーズでも読むことにしましょう.