ある大学院生の日記

2002年02月14日(木) やったー,結果が出たあ.

ついつい,ぼけーっとラージヒルなんぞ見ていたために,午前中から霞ヶ関に出かけるのに非常に眠くて困った.ふう.生きていくためにはいろいろと裏業があるものですなあ(なんのことだ).


神戸商科のA先生(←断定したも同然)から,M1のナントカくんを知ってるかい?と聞かれたので,大学に戻ってから挨拶に伺った.コイツではなかろうか,と目星をつけていた彼であった.よかったよかった(←いいのか?).そういえばそろそろ修論の指導教官を決める時期であることよ.


なんとなくぼけーっとしたり,同室の人間と話をしたりしているうちに夕方になってしまったので(おいおい),やや慌ててStataと格闘した.やりかけの流動性制約の話はちょっと置いといて(明日やるじょ),
Carroll, Christopher D., Karen E. Dynan, and Spencer S. Krane [1999] "Unemployment Risk and Precautionary Wealth: Evidence from Households' Balance Sheets", Finance and Economics Discussion Series Number 1999-15, Federal Reserve Board
のモデルを使った最尤推定をしてみた.例によって例のごとく,最初はプログラムのバグが多くて多くてこまってしまうまであったんだけど,なぁんと,求めていた結果が出ましたあ.ぱちぱちぱち.まあそうはいっても,思っていたほどのものではないのであるが.しょうがないね.


いやしかし,「求めていた結果」なんていうと,結論先にありき,みたいな響きがしてよろしくないなあ.まあ,理論的直観的には十分ありえることを実証する結果を求めていたんだから結論が先にあったといえばあったんだろうなあ.ううむ.


そういえば,「直観的」っちゅうのはなにか,というのが一部で話題になっていたようだけど,私淑するOくん(千葉県在住)が薦めていた(?)
David Gries and Fred B. Schneider難波完爾土居範久監訳)『コンピュータのための数学―論理的アプローチ』日本評論社
を寝る前に読んでいて(かっこうの睡眠薬になることもある)思ったのは,統語論と意味論の話ではないかしらん,ということだ.論文の証明の手続き(?)は機械的に行われるけど,その手続きには当然意味があって,直観っちゅうのは意味のほう,証明っちゅうのは統語のほうを指しているんではないかしらん,と思う.数学的論理の背後にある経済学的論理という言い方もできるかもしれない.ま,そういう言い方をすると,経済学的論理は「論理」ではないのか?という話になっちゃうので,ややこしくなりそうなのでやっぱりやめた.でもまあ,経済のことを考える以上,「やっぱし,こうやっちゃうよなあ」とか「こういう仕組みなんだろうなあ」という漠然としたアイデアほど重要なものはないんであろうなあ.


そういや,バレンタインデーだそうだ.


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