例えば。
あたしは子ども達を迷子にしたことはない。
出かける時は絶対に手を離さない。やむを得ず離さなければならない時は、絶えず視界の片隅に入れておく。あたしの視野は180度以上なのだけど、それは実は絶えず子ども達の動向を視界に入れるべく発達したものかもしれない。
だけど。
子ども達も大きくなれば、その行動範囲も広がり、当然、別行動も増えていき、子どもだけの世界も増えていく。
その日1日何があったのか、仔細にたずねることはしないが、その日1日が楽しく過ごせたのか、よい1日だったのか、それだけは気になる。
普段は無関心を装っているが、その実心配性なあたしは、くだらない冗談を言って、笑わせてみたり、その笑顔にほんの少しでも曇りがあれば、何かあったのではないか、とアンテナを張り巡らせる。
それでも。
子どもが成長していくにつれ、自身で抱える悩みや痛みは共有できなくなっていく。
内面でどんな葛藤があるか、推し量ることはできても、救うことは難しくなっていく。
娘がどうやら壁に突き当たっているらしい。
あたしにはそんなことおくびにも出さずに。
他人から伝えられたその情報は、娘から聞いていた話とはちょっと違っていて、意地っ張りで我慢強い娘はあたしには聞かせたくなかったものなのかもしれない。
頑張っている娘を思ったら、朝から泣けてきた。
行き届かなくて、ゴメン。
あたしのマイは非通知です。