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2002年07月30日(火) |
病院の風景。〜親子関係について考える。その2〜 |
7月に入ってからと言うもの、息子が立て続けに病気になり、いつ終わるともしれない病院通いの日々が続いています。日頃から食べても食べても太らず、やせっぽちの彼は、やはり体力もあまりないようで、ちょっと大きな病気になると、一気に弱ってしまうようで、まさに弱り目に祟り目状態。 3日もろくに食べていないから、体はまるで鶏がらのよう。この暑さの中、このままでは干からびてしまいそうなので、病院に連れて行くことにする。いつも行っている小児科はおばあちゃん先生で、先日のとびひのときに診断ができず、みずぼうそうのときにつける薬を処方したことで、あたしの中の信頼度はぐーんと低下。ので、いつも行く病院ではなく、処方された薬が怖いほどよく聞く、と言う病院へ行くことにした。 この病院、アレルギーなどが専門の病院で、息子が11ヶ月のときに体に湿疹のようなものができ、アトピーかなあと、見せに言ったら、みずぼうそうをもらってきた、と言ういわくつきの病院。先生も無愛想で怖いので、娘は行きたくないと言い、仕方なしにおばあちゃん先生のところに行っている。
着いたらすごく混んでいる。待合室にはいろんな親子がいる。 大抵は子ども自身具合が悪いので、ただ静かに順番が来るのを待っているのだが、きょうだいで来ている場合は厄介だ。元気なほうの子どもは待ち時間なんて退屈なだけで、いくら母親が注意してもじっとしない。 自ら「2さーい」と名乗る女の子は、どこが悪いのかそんなに具合も悪そうではなく、母親とおとなしく絵本を読んでいる。母親はまさに理想の母親像と言ったらこういう人だろう、と言うような人。飽きた子どもを、実に巧みに気をそらす。時々そう言う人の中に、偽善の匂いがすることもあるのだけれど、この人は本当に安定した状態で子育てしているなあと思えるような接し方だった。 もう一組の親子連れは、上の子が3歳くらい、下の子はまだ1歳になったばかりくらいの赤ん坊で、下の子が具合が悪くて来ているようだ。(余談だが母親が山田花子そっくりでした) 上の子は退屈でじっとしておらず、そのたびに母親がたしなめるのだけれど、ちっとも言うことを聞かない。イライラのピークに達した母親は般若のような形相で、子どもを怒鳴りつける。しまいには周囲に見えないように子どもの手をつねりながら怒っていた。
対照的な親子を見て、これも悪循環なんだろうなあと思った。 不安定な母親の子どもは不安定になり、そのことがまた母親のイライラを増大させる。手のかかる子というのは確かにいる。けれど余計に手がかかるのか、それとも安定させることができるようになるのかって言うのは、接し方次第なんじゃないだろうか。 子育てに正解なんてないし、同じように接してもうまくいく場合、行かない場合はもちろんあるだろう。 きょうだいでもどうしてこんなに違うんだろう、と言うほど違うのが個性なのだから、それをうまく捉えることで、子どもは生き生きと育っていくのではないだろうか。
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