過失軽薄日記
一覧

管理人は現在杭州にいますが、どこにいようとうすらオタク気味です。 2008年頭に帰国予定。大陸に至った経緯は2006年3月22日あたりをご覧ください。

文中でリンクされている箇所は別窓で開きます。

---------------------------------------------------------------
2002年08月22日(木)/共闘上等。/三國志戦記

今回の劉備シナリオでは、馬超を諦めたので、あとはあまり余計なことはせず(武将捕縛等)虚心坦懐に乱世の終結を目指すのみになってしまい、なんか目的を見失ったような気分になり、だんだんモチベーションが下がって来ました。私の目的は何か間違っています。目的は天下統一ですよ。馬超にあらず。
とにかく、マップの隅っこの方で(涼州だから)、ときおり思い出したかのように軍団を出現させたり、それで何をするわけでもなく、またいつのまにか軍団を解散して沈黙してしまったりする、非常にやる気のなさそうな馬騰軍の様子が、私の目に空しく移ります。あの軍団の中に馬超がいるのになあ。よこせとは言わないので貸してくれないかなあ(無理)。
そんなやるせなさを抱えつつゲームを進めていたわけですが、なんか劉備の所に孫権の妹(孫尚香)が嫁にやってきて、蜀と呉の協力体制が出来上がりました。そして、呉と蜀で協力して曹操を攻めようということになりました。具体的には、許都、長安、洛陽を攻略すればいいのですが、蜀の首都、成都はそのいずれからも遠くに位置しており、なんでこんな西の端が首都なんだ面倒なとか思いつつ、軍団を差し向けていたところ、江東方面にも何か軍団が派遣されているのを確認しました。軍団長を見てみたら陸遜軍でした。呉の孫権も曹操を討つために軍を派遣しており、蜀、呉の両面からの戦線同時展開が繰り広げられているということのようでした。

つまり、我々は今、共に戦っている…?(だからさっきから同盟を組んだと言っている)アワワワ。陸遜と協力しちゃってるよ私。いや陸遜ていうか呉。落ち着いて私。呂蒙もいる。軍師だよあの子(子って)。いやそれは間違っていない。呉下の阿蒙にあらず。刮目刮目。それにしても協力だ。呂蒙と協力。いや呂蒙ていうか呉(二度目)。ワー。何か無闇にやる気が出てきた。よーし!我々がまずは長安を落とすので、君らには寿春、合肥方面からの曹操軍への牽制を頼むYO! そして最後は、洛陽でランデブー攻略という作戦はどうかナ? などと、やる気が出たとたん、現金にも急激に脳内補完が快調に機能し始めた自分にいささか戸惑いを覚えます。誰に語り掛けているの私。

というか、皇帝を傀儡化して権力をほしいままにしているワル(笑)な曹操を俺達で協力してやっつけようぜ!とかいうノリになってきたようです。そんな。魏のほうが、無茶な戦争で国力を削りまくっている蜀あたりよりよほど統治も行き届いて平和に潤っていると思われますが、その良く治まっている魏の領地に戦争を仕掛けて民の安寧を乱す我々のほうがむしろ奸雄という気がしますよ玄徳の兄貴。

---------------------------------------------------------------

ヤケパチ |電信家頁

My追加