、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
所が変わるとイロイロなものが変わります。
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先週、伯母の葬儀でした。
本当に慌しい旅だったものの、乗り継ぎの待ち合わせがほとんどないという
「無駄のない移動」で、葬儀開始の1時間前につきました。
到着していきなりしたこと・・・それは「親族写真撮影」
祭壇をバックに、喪主を中心に写真撮影をするんですよ。
しかも、男女別に。(あぁ、九州)
その後、葬儀が始まるまで挨拶などをしながら時を過ごし、葬儀本番。
<灯明のキャンドルサービス>
結婚式の披露宴で新郎新婦がテーブルを回る時に使うような
キャンドル(黒白のリボンつき)をもって、斎場の人が祭壇の
灯明をつけたんです。「喪主からの献灯です」って。
<最期のお別れのBGM>
一通りの儀式が済んで、家族親族の「最期のお別れ」の時間。
BGMが流れていました。中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」
ちなみに、上述のキャンドルサービスの時は讃美歌っぽい合唱曲。
この葬儀会社のセンスをちょっと考えました。
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葬儀の間、上のようなばかなことだけを考えていたわけではなく、
途中、導師がこのような一節を読み上げました。
「思うに無常の嵐は時を選ばす処を定めず、老少のへだてあることなし。
しかるに恩愛の絆、いよいよ断ちがたく別離の情、また去りがたし。」
形式的にはこの言葉は伯母に向けられているのでしょうが、
自分にいわれているみたいで、この時は、さすがにつらかったです。
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と、なんだかんだあった葬儀でした。
葬儀の後向かった火葬場は竹林に囲まれた、
静かな丘の上にこざっぱりと立っていました。
火炉の前で大泣きするかと思ったのですが、
自分でもビックリするくらい、心は落ち着いていて
伯母の旅立ちを静かに見送りました。
火葬の風習は、仏教では肉体への執着を絶つ手段としての
最高の方法だったとか。僕自身は心静かに見送ることができた
とはいえ、残された側にはどうなんでしょうね。
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こうして、また日常生活に戻りました。
たんたんとした毎日を過ごす事が、伯母にとっての供養であろうと、
僕はそう、信じています。