、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
会社がおわり、
打ち合わせに来ていた営業の人と、自分の上司とで
飲みに行っていた時のこと。
何げに携帯電話を見たら、迷惑メールに混じって
緊急連絡のメール。
伯母が急逝した。
伯母の状態は良くないと聞いてはいたのだが、
入院していたわけではなく、あまりにいきなりだった。
母に電話する。*なくなった伯母は母の姉。
聞くと、母は葬儀には行かないといった。
正確に言うと、行けない。
母は鳥取にいて、葬儀は熊本。
葬儀に間に合うように、移動することは不可能なのだ。
「葬儀に間に合わないのに、いってもしかたがないけなぁ〜」
こう話す母の声は、ちょっと無理があった。
まさに「自分に言い聞かせるように話す」状態だった。
10時ごろ、帰宅。妻はいつものように寝ていた。
伯母のことについて、話を聞いて欲しいなとも思ったが
酒を飲んで、気持ちよく寝ているようだったので、
そのままにしておいた。
帰宅後、従兄に連絡をとり、あすの葬儀に出席する旨を伝える。
「葬式にはたくさんの人がおった方がいいけんね〜」
僕もそうおもう。両親が出られないのだから、せめて僕だけでも。
「見送り、お願いね」という母の声は、ちょっと涙声だった。
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伯母は一時期、鳥取に住んでいた。
そして、ちょくちょく幼い僕や妹の面倒を見てくれた。
僕が不登校だった頃、
「ま〜君はいい子だからね〜」と、いつも言ってくれた。
*ま〜君=こあら。本名がまさかずであるため、こう呼ばれた。
だから結婚した時、どうしてもしばさんを紹介したかったのだが、
その時には脳梗塞(だったかな?)の後遺症があり、
会ってもらえる状態ではなかった。
そして伯母は、ひとり旅だった。
伯父さんが迎えに来たのだろうか。
それとも、おばあちゃんだろうか。
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人間はいつか死ぬ。
普段忘れようと、見ないようにしている、この運命。
身近な人の死をもってしか実感できないのが、
本当に辛いです。
でれっとしたことが嫌いだった伯母。
その葬儀に参列する僕にできることは、
小さっぱりとした服に身を包み、
参列出来ない両親の代わりをきちんとつとめていることを、
霊前に見せること。
そうすれば昔のように、
「ま〜君、偉いね。いい子だね。」と、
声をかけてくれるよね、おばちゃん。