、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
2002年11月16日(土) |
カラオケでも考えるんです。 |
今日は、久しぶりにはまはま氏とカラオケ。
14:00に有楽町に集合。そこから4時間カラオケである。
(しばさんは途中までいっしょだった)
歌の詞をじっくり見る機会は、普段の生活ではあまりない。
僕にとって、その機会の一つがカラオケである。
今日歌った歌の一つ、ELTのfragile、これのサビの部分。
>出逢えたことから 全ては始まった
>傷つけあう日もあるけれども
>“いっしょにいたい”と そう思えることが
>まだ知らない明日へと つながってゆくよ
ここを歌っているとき、しばのことが頭をよぎる。
本当に、大学で出会ったことがすべての始まりで、今でもいろいろありますが、
「一緒にいたい」という願いだけが、いまでも僕の支えになっている。
・・・なんてことを思い出して、泣きそうになりました。
ありがとうね、しばさん。
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あと、カラオケに行くと最近マッキー(槙原敬之)を歌うようになった。
中高生の頃はよく聞いていたけど、途中で何となく離れていた歌。
彼の「幸せいっぱいの世界観」に何となく違和感を感じていた。
それでも、しばさんと結婚、しばさんが聞くCDに耳を傾けているうち、
昔とは違った感覚で、また彼の歌を聞くようになった。
幸せいっぱいに見えていたけれど、
それは長く長く続く幸せではなくて、ほんの短い間のものなんだろう。
短い間の幸せだから、その思い出を大きく膨らませて反芻して大切にしたい。
かれが「幸せいっぱい」な歌を作るときは、そんなところがあるのかもと
何となくではあるが感じるようになった。
実際は、ほんの一瞬で終わってしまった中宮定子周辺の幸せを、
清少納言が枕草子で、いつまでも続いたんだと言わんばかりに
華やかで華麗に描いた感覚と、似たものを感じてしまう。
光の中にいるはずなのに、どこかに影を感じてしまう。
光が強ければ強いほど、影も色濃くなってしまう。
こんな風にいえなくもないでしょう。
本人に確認したわけではないので、真偽の程はわかりませんけどね・・・
こう感じた理由?それはまた別の機会で。