、まとめ
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こあらの見た風景(要はブログ)
スタートしました。
2002年03月14日(木) |
卒業式の思い出(小学校編) |
予定どおり、しばに何も差し上げなかったこあらです。
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小学校の卒業式は自分が送り出されるのを含めて6回経験しているから、記憶ははっきりしている。
小学校の卒業式。もちろん、校長先生の式辞やいろいろな来賓の挨拶があるのだが、メインイベントは「卒業式の歌」である(送辞や答辞はなかった)。これは、1・2年生、3・4・5年生、先生、6年生と学年ごとにパートが異なっており、通すと一つの大きな曲となる一大ページェントである。こんなことは全校生徒300人も居ない小さな学校だからできたんだろうけど。実家の周辺の小学校ぐらいしか歌っていないローカルな曲かと思ったら、インターネットで検索すると、意外とヒットした。
この曲を5年間は送る側として歌い、自分が6年生になったときのこと。6年生だけが歌うパートは、曲の最後の部分にある。6年間を振り返りながら、在校生、先生、保護者に対してそれぞれ感謝を述べる内容だ。
もともと、僕は音楽によって感情をフルに動かされるタイプである。そこまでは淡々と歌っていた僕も、6年生のパートに来た時、全然歌えなくなってしまった。在校生の顔を見ていると、これまで一度も話をしたことのない人であっても、名残惜しくなり、それまでのことが本当に走馬灯のようによみがえってきて、「今にも泣きそう」状態になってしまったのだ。いろいろあったけど、本当にこれでお別れなんだなぁト思うと、すごく寂しくて、悲しくて・・・なんてことを考えていた。
この「卒業式の歌」の後は校歌、そして、蛍の光に送られて退場。ただでさえ、気持ちが高ぶっているのに、校歌である。「これが小学生として最後の校歌だ」と、小学生とは思えないくらい気負っていたこあら。当然歌えるはずもない。涙をこらえるので必死。
蛍の光での退場は・・・いうまでもないだろう。
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こうやって考えると、「なんてかわいい小学生」と誰も言ってくれないので自分で思うしかないのだが、この「音楽に弱い」傾向は長じてからひょんな所で顔を出すことになった。その話はまたいずれ。