つれづれ草^^
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2006年03月13日(月) ローマンエンパイア


なんだか最近バタバタしていて、週末の競馬がじっくり見れてない。
今日は何のレースがあるか・・・くらいしか頭になく、
それでも一応メインレースだけは見たり、またビデオに撮って見たりはしている。
土曜日のレースも当日の3時過ぎになってようやく・・に新聞に目を通すと
阪神のメインレースにローマンエンパイアの名前を見つけて
なんだか急にわくわくしてきた。
ローマンエンパイアは、私がエアシャカールに見惚れて競馬を好きになった年の翌年、2001年にデビューしたお馬。
まだ競馬を知り始めたばかりで、怒涛のように過ぎていった2000年。
その2年後のクラッシックレースは私にとって初めてのデビューから応援した馬が
出走する事になったクラッシックだった。
その応援していた馬が、ローマンエンパイアだった。

この時のクラッシックには、女傑エアグルーヴの半弟モノポライザー
ダービーを勝ったタニノギムレット、そしてその後ダートに路線を変えて大活躍し、
ダートでは敵なしの王者だったアドマイヤドンなどがいて、
クラッシックは4強とも3強とも言われ、
間違いなくその中にいたのがローマンエンパイアだった。
デビューから3戦負けなしで挑んだ弥生賞は、相変わらずのちょっと出遅れ気味のスタートで後方から進み、
結果・・・超スローペースを逃げ切ったバランスオブゲームにわずか半馬身届かず2着。
それでも上がり33秒台の脚を披露し、負けて強しの印象を残した。
実際、翌日の新聞にも「力が違う」「一枚上」などとローマンの事を評していたのを覚えている。
あのスローペースであの位置取りで・・・よく2着も来たなぁ・・・強かったなぁ・・・と今でも思い出し、
思い出すと痺れるような感動がある。
デビューから3連勝、弥生賞でも潜在能力の高さを見せつけ、クラッシック第一弾「皐月賞」では
2番人気に推されていたのだけれど・・・・まさかまさかの・・・・14着順敗退。。。
出遅れもあったけれど、それにしても負けすぎだったので、「もしや故障したのでは?」と本当に心配した。
その後、左脚ハコウでダービーを回避、その後も骨折・蕁麻疹などで休養が続き、
ファンの前に姿を見せてくれたのは皐月賞の次の年、淀短距離Sだった。
復帰初戦を2着で飾り・・・勝ちこそはしなかったが本当に嬉しかった。
またこれからローマンのレースを見れる^^とわくわくしたのを覚えている。
その次のレースは京都記念。下の写真はその時のもの。
この日は現調教師の河内騎手の最後の重賞出走で、しかもアグネスフライトとのコンビという事で、
かなり盛り上がった。
雨の京都記念、一番人気に推されたローマンはまたしても13着と大負け。
私がローマンに会えたのは、この雨の京都記念が最後。
それ以来まだ会えていない。
その後は第一線からは遠のいた感じがあるが、地道に走り続けて・・・今がある。
デビュー当時のローマンらしい・・というか、ローマンエンパイアを印象付けた、あの追い込み・・・
そういう強烈なローマンは少々影を潜めているかもしれないが、
それでも・・・先日のレースでは「ローマンだぁ・・・・」とジンとくるような走りだった。
2着だったが、直線馬群の外に出し、そこから先に抜け出した勝ったマチカネメニモミヨ
を追いかける姿に、思わず立ち上がって応援してしまった(笑)


ローマンのクラッシックを思い出すと、そのメンバーが豊富な事に感動する
・・・って、私だけか(^^;)笑
あっと驚かされたノーリーズンがいたし、前述の3頭モノポンにギムゴンにドン・・・
忘れてると痛い目に合わされるファストタテヤマもいるし(笑)
G2では力が違うバランス、王者シンボリクリスエス、テレグノシス、
メガスターダム、ヤマノブリザード・・・それに・・ローエングリンもいた。
そしてそして・・・忘れてはならないヒシミラクル!
ああ・・なんて豊富なメンバーなんだ(笑)
・・って、感動しているのは私だけだけど・・・(笑)
いい年だったなぁ・・・・面白い競馬の年だったなぁ・・・としみじみ思ってしまう。
デビューから応援していた馬がクラッシックに出て、その後も休養を挟んでなお今も頑張っている姿を見れて、
改めて・・・競馬って面白い。感動だなぁ・・・と一人味わっていた土曜日だった。
ローマンはやっぱりカッコよかった。
これからあとどれくらい、競争生活が残っているのか分からないが
どうか・・・最後まで無事でいてほしい。
そしてどうか・・・次の道を勝ち取れるよう・・・活躍してほしい。
これからもローマンエンパイアを応援する。
頑張れ!ローマン!











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