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2001年12月29日(土) |
ネットの馴れ合いって嫌いだわ。 |
妊婦の愚痴を更新前に15分間で綴ってみたんですが、つまんないので削除しました。
更新終了。つーかとっくに終わって他所をまた見学してたりしました。
ちょっと語り。 他人様のオンライン小説で、感想を書くのは簡単だ。ただ、ネット社会にありがちな「とりあえず誉めておけ」というのは、やはりただの馴れ合いと、自分に対する自信の無さからくるもの、なのだろうなぁ。 自分がそれほど偉いわけでも無し、すごい文章を書いてるわけでもなし、だから他者への感想でも、偉そうなことは書けませんっていう姿勢。 うーん。 美しくもなんでもねえな。 自分が下手くそでも、他人の文章を読むことに関してはまるで関係ないと思うのだけどなぁ。書くことと読むことは違うでしょう。でなきゃ世の中に本屋なんかできないでしょう。物を書くことが商売として成り立つわけがないでしょう。 世の中には、書いて他人の心を動かす仕事があるということは、読む人がいるというわけで、読む人は必ずしも書く人だけというわけではないのだもの。 だったら、感想で「おもろくなかった」というのを書くことは、なにも悪いことでもなんでもないと思うのよ。受け取り方なんて、人それぞれ千差万別だもの。 ただ、どうしてみんながそれをやらないかはわかる。悪口に受け取られかねないから。わかりきってることだね。書きにくいことだもの。 悪口に受け取る方が悪いんだわ。 つまり、悪口に見えそうな感想をもらってしまったら嫌だなぁと思ってるのよ。悪口に見えそうな感想をもらいそうだと心配してるのよ。とどのつまりは、自分の作品に自信がないのよ。 じゃ、なんで公開してるんだろうね? 書くことで満足してるんなら、世間に公表する必要はないわ。手書きの日記帳みたいに、しっかり鍵してパソの奥にでも眠らせとくんだわね。 誰かに見せたいから公表するんでしょう? 自分の作品、誰かにいいなって言って欲しいんでしょう? それなりのものを書いたって自負が、本当はどっかにあるんでしょう? webで発表する=不特定多数に発信する、他人に公表する。どう見られてもかまわない、という気合いがそこにあるはず。 だったら、何を言われたってかまわないじゃない。 どうしてそこで、「自分自身まで否定されてるような気にな」ってしまうのでしょうね? 自分が書いたものでしょう。自信を持てよ。 持てないんだったら他人の目にさらすようなことすんな。 そういうのは謙遜でもなんでもない。日本人の美徳? 全然違う。 もう私は、「下手だけど読んでくださ〜い♪」っていうの、止めました。随分前にだけど。下手なのはわかってます。プロじゃないんだから。それで飯を食ってるわけじゃないのは知ってるから。 一辺倒の感想しかもらえない人ってのは、きっと自分も他人に一辺倒の感想しか書いたことがないのだろうな。 覚悟があるなら、きっと他人に偉そうな顔をされても大丈夫。真摯に受け止めることができる、あるいは丁寧に反論ができると思います。
逆に、書く方。難しい。攻撃にならないように。ただの悪口にならないように。どこがどうわかりづらかったか、どうおもろく感じなかったのか、具体的に書きあげるように努力が必要。 実際、読んでいて「うわークソだこれ」と思うようなのには、正直感想を書き込みたくないです。クソだって思うやつは、つまりはどこがどうクソだと言いにくいくらい全面にわたってクソなんですもの。 最近私が読んだやつで、あんまり全部が全部クソなのはないんですけどね。(なくはない) どっちかが多いな。表現とか書き方とかすっごく上手いんだけど、結局何を言いたかったのかわかんない作品か、その逆、ストーリーはいいんだけど書き方がめちゃめちゃな作品か。 そういうのは、いいって誉めるとこもちゃんとできるし、ダメって思うとこも指摘できるし。 で、大事なのは、あくまでも「感想」に徹することかな。私はプロじゃないから、文章の組み立てとかそういうの全然わかんない。懸賞とかに通用する書き方があるらしいから、同じように読み方ってあるんだと思う。 でも、普通本屋で小説を買って読む人が、そんな読み方みんながみんな知ってるわけじゃないもの。万人に万人の読み方受け取り方があるんだわ。 だから、批評する立場に立とうとしてはいけないのよ。あくまでも感想。つまらなかった、というのも感想。批評するんだったら、どこはどう直せばもっといい、とかいうのを提示できるくらいじゃないと。 だって、感想だったら小学生でも書けるんだもの。みんな学校でやってるわ、感想文を書きなさい。難しいことじゃないのよ。自分がどう思ったってことを、プロの作品に対してやってるのよ。それだけよ。
だから、他人の作品をアマチュアの私がクソだと言ったところで、なんの問題もないはずなのよ。 本屋でぱらっと立ち読みして、あ、つまんなそー。と思ったら買わないで棚に戻す。それと同じことをするだけだものね。 ネットだとダイレクトに感想をもらえるから、かえってありがたいはずなんだけどなぁ。
でもやっぱり、そこで名指しで「コイツの作品はクソ」とか言ったら、誹謗中傷に取られちゃうんだわ。なにも作者がクソと言ってるわけじゃないっつーのに。作品がクソなだけであって、あんたの人となりは関係ないっつのに。なぁ。 よくある「サイト批評サイト」への批判みたいだ。
ふふふ。でも、私、1つ言いたいのがあるのよ。 やっぱり名前をあげちゃうとその人に悪いからあげないけどね。 とある掌編を書き上げた人がおりました。その作品は、まぁ決して上手い作品とは言えませんでしたけど、私はその人独特の味があるなぁと素直に思ったものでした。結果をポンと投げ出して書くタイプの人。淡々と事柄を述べ、あまり登場人物の感情などを丹念に追っていくタイプではないのよ。それが、掌編という長さに合ってるし、余計なものがなくて、結果を投げ出されたおかげで読者の中に余韻が残るような、そういう書き方をする人なの。うん。私にできない書き方。 だから、その作品はそれで立派に作品になってると思った。その人はそれで良いと思ったから他者に公表したわけで、私は上手かぁないけどいいんじゃないの、みたいに思った。 ところが、とある馬鹿がいたんですね。とある偉そうな馬鹿。 その作品を読んで、「これはあまり良くない」と思ったらしいのです。まぁそこまではいいです。ただの感想だから。しかしその馬鹿は、それ以上の行動に出たのですね。 自分が同じストーリーで書き直す、という愚劣な行動に。 むろん、ただのアマチュア作家です。立場的には原作者や私ともなんら代わりのないとこにいる奴です。よっぽどの馬鹿で自信過剰なやつなんではないでしょうか。おまえプロかっつーの。添削先生かっつーの。 その書き直した作品が、ものすごく良くなってたら、私もここまで言いません。ええ、載せてありましたよ。原作のそばに。原作者のコメントでは、控えめに、自分を卑下して、「書き直して素晴らしくなった」というような言葉を添えていました。 とーんでもない。 書き直したものは、ええ、とんでもない代物でした。原作のような味はふっとんでしまいました。ただのクソになってました。ストーリーは同じはずなのです。良かったはずなのに、良かったところが見えなくなってしまうほどでした。何が言いたかったのかよくわからん作品に変貌していました。 この大馬鹿者が。しれ者虚け者。恥を知れ恥を。 ポンと投げ出す書き方だったから、あの作品はほんわかして良いものが心に残って、最後の一文がすっごく効いてて、ふっと笑顔が最後に浮かんじゃうようで良かったのに。 お前の所為で、わけわからん作品になってしまったじゃないか。 こっちを先に読んで、うわークソだって思って、その後元作者のを読んだらまぁよく書き直していい感じねって思うかもしれません。 私は腹が立ちました。なんてことしてくれたんだこの馬鹿。あまりに腹が立ったので、そいつのページを覗いてみようかとも思ったのですが、書き直しの文章があまりに酷いため、きっとオリジナルでも酷いだろうと思って読む気が失せました。覗いてもいません。アクセス数を増やすことさえ厭わしい。 だいたい、原作者の心を傷つけたと思うのです。「俺様がもっと良く書き直してやる」と言うだけで、相手は凹んだと思うのです。公表するってことは、自信があってこそだと思うから。もちろん、自分の作品は批判されてしかるべきかもなぁ、上手くないけど、でも誰かに読んでもらいたいなぁって気持ちで載せていたのでしょうね。 でもまさか、書き直してやるぜ〜と言われるなんて思ってもみなかったことでしょう。しかもただのアマチュアに。 結果的にうまくなってるなら、それは自分への挑戦と同時に勉強でもあるし、凹んだ分頑張ろう、ありがとうって気になると思います。 でもあれじゃあ。 改悪じゃん。元より悪くなるなんて。大損。 そんで、自サイトでそいつを持ち上げなくちゃいけないなんて。そいつに「ありがとう、素晴らしい作品になりました、やっぱりあなたはすごいね」って言ったと思うんです。あああ。そんなに謙る必要なんかどこにもないのにー。 とはいえ、もしかしたら、自サイトに両方の作品をずっと展示しているということは、「第三者が見たらきっとわかってくれるよね?」という原作者の気持ちなのかもしれません。うふふ。
私、言いましたよ。原作者に。さすがに掲示板で堂々と言うと、原作者さんも傷つけそうだから、メールで。書き直した奴はアホだと言いました。元の作品の方がずっと良いです、と正直に言っておきました。 原作者さん、喜んでくれはったよ。うん。自信、持ってよね。貴方の作品にはとても味があるの。随分前から知り合いだけど、書く度に上手くなるなぁって思っているのよ。私には書けない表現方法をする人。あの書き方だからこそ、掌編が短編がいい味になるのだろうなぁ。
私が書き直したら、どうなるかって? そんな気なんか、微塵も起きませんよ。書き直すなんて。ポンと投げ出す書き方をする人だからこそ、あのストーリーは活きたんです。私のように細々と綴る書き方をする人間には、あのストーリーは無理です。
自分の色を見計らってからじゃなきゃ、二次的創作は無理よね。
……誰だかばれちゃうかもしれないなぁ。ま、そんときは、そんときで。許してもらえるでしょう。うん。
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