子どもって、たとえば「今夜は夜泣きしないね」「そうだね」なんてほくそ笑んだ途端に、火がついたように泣き始めたりしませんか。
悩まされていたことがしばし収まって、周囲が喜んだ途端にお悩み復活の方程式。
言わなきゃよかった、そしたら夜泣きしなかったかも、なんて「タラ」「レバ」よね。そうよね。
なんてことを考えて。出来ればずっとこの状態が続いてほしいと思っていた。だから書かなかった。前置きが長いね。娘の「オナカイタイ」ですよ。
夏休み末に早朝外来に行って以来、ほとんど言わなくなったことに気付いた。
夏休みだからばーんと打ってしまえ、と思っていたのに、測っても測っても読みきれない血糖値。結果を並べた表から見えるのは、測った割りには成果の出ない、煮え切らないコントロールの日々。
「もっと測らないと、より良いコントロールなんて出来ない」「だからチップをもっと出してほしい」と主治医に泣きついたカーサン、自覚しているイマイチ加減を主治医に指摘され、「測らずにこれ以上ヘモ値をよくするなんて無理」「怖くて打てたもんじゃない」「結局診断は結果論でしかないんだもの」と投げやりな気分に盛り上がった。悔しくて涙も出た。
「くっそー、やれるもんならやってやろうじゃないの」とやけくそ気味に測定回数を指示通りに減らしてみたら、なーんかいい感じの数字が並び始めた。おや。これはどうしたことか(秘技手の平返し)。
そして悩んでいたのは「オナカイタイ」と訴えたときの判断に迷っていたからだと気付いた。高ければ打たないといけない、低いなら食べさせる、正反対の処置を選ばなければいけないから、ついつい測ってしまったんだっけ。どっちの「オナカイタイ」なのか。もどかしい。体感できたらなあ。わからないんだもの。 ※測ったところで、それが上昇中なのか下降中なのかで処置は変わるんだけどね。結局文脈(というか「生活の流れ」とでも申しましょうか)で判断しないといけないのだ。だから必ずしも測る必要はないのであった。確かに主治医は正しい。腹立つー(お門違い)。
それにしても、どうして「オナカイタイ」が収まったんだろう。成長?安心感?安定?・・・考えてみるが、サッパリわからない。喜ばしいのだから、理由はともかくとも思うのだが、そこをカーサンは知りたい。知りたくてたまらない。
そしたら今日のお迎えでは、はっきりと低血糖症状(本日午前保育)。見極めに悩む担任の先生に、この感じをどう伝えたものか。娘にも、もっとわかりやすい訴え方を教える方がいいのかも。 ※あ、幼稚園のお弁当直前には「オナカイタイ」頻発しているのであった。収まったわけじゃあないのか・・・。それでも回数は減っているらしいが・・・。悩む人がカーサン→担任の先生に変わっただけとか。
またちょっと、変化の時期に入った気がする。
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