あれ、書けるらしい。はてな?
土曜から昨日月曜まで実家じじばば、娘とカーサン4人で草津の旅。
例えば、カーサン見たいテレビがないとき、PCを立ち上げる、或いは本を読む、或いはipodに頼る。見たくない番組でとりあえず我慢するということが出来ない。欲しいものしか欲しくないのだ。
なので、とんちんかんな愛(暴言か)を受け取るのに四苦八苦した3日間であった。2日目から胃が痛くなってきて、帰宅して少し和らぎ、今朝には治っていた。なんと許容範囲の狭いことよ>自分。
彼らの愛が、持病に関する知識や情報へ向かう原動力にならないことに、カーサンたじろいでしまう。そこはカーサンの理解を軽ーく超えている。不思議でならない。
そして、日頃カーサンどんなにぶつくさ文句を垂れていても、「コドモ中心」の価値観の中で生活していたのだなと気付かされた。幼稚園ママにしても、夫にしても。
いい形で記憶を上書きできるかも、と期待してしまったあたりがまだまだ甘いな>自分。こういう進行で自分の親をある意味見切ることを悲しんでもいる。 ※親に対してなんと無礼な、というご意見はのちほど拝聴いたします。
でも、見切らないと今後付き合っていけない気がする。自分の中で、線を引かないと、とてつもなくくたびれてしまうのだ。もう充分様子を見た。
彼ら二人の間だけなら、もうこのままでかまわないし、そういう形でしかありえないんだろうから、今更それを変えろなんて口を出したりしやしない。ただカーサンは、それを反面教師としてとらえるしか出来ない。年齢を重ねることが、何かをレアに剥き出しにしていくことなんだとしたら、カーサン少々恐怖を覚えた。←これも暴言っちゃ暴言なんだろうが、自戒ということで大目にみてたも。ええ、自戒ですとも。
笑うこと、認めること、尊ぶこと。夫との間で、娘との間で、大事にしていこうと思った。そして「学ぶこと」も付け加えとこうかな。
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