幼稚園のお母さん友達と関わるようになって強く感じることが一つ。どうもカーサンは「押し付けないで」という気持ちが強いらしい。
自分の子どもでうまくいったからって、全ての子どもに当てはまるわけではない。発達の度合いも、持ち前の性質も、親子の関わり方も、百組親子がいたら百組のやり方があるだろうとカーサンは思う。
よそ様のお子さんについて、或いは母親の子どもへの接し方関わり方含めた育児のスタンスについて、自分と違う点があったとしても「あれってどうよ」と他のお母さんと共有したいと思わないのだ。他人の育児批判は胸の中でひっそりとお願いしたい。「もっとこうしたらいいのに」「あれじゃあね」と共感しあうような会話に、どうしても馴染めない。とりあえず沈黙を守ることにしている>卑怯者。 ※そりゃ度を越した暴力とか虐待とかってのは話が別よ。
いやそれとも、その発想の元に「うちはこれでうまくやっている」という優越感が感じられる場合に限って、抵抗を感じるのかもしれない。「うまくいく」お子さんとお母さん、もちろんうらやましいけれど、それって、100%あなたの手柄かしら。と茶々を入れたくなってしまう。いやだ、カーサンったらひがんでる?そねんでる?
「私ががんばってこう接したから」という自尊は結構だが、因果関係だけでは片付かない何かがあるような気がする、育児って。
専門家や学者が「かくあるべし」と振りかざすのにだって抵抗があるくらいだから、同じ「母親」であるだけの立場の人に、やいのやいの言われたくないんだな>自分。ん?「母親」だから言ってくるのか・・?なんかわからなくなってきた。
カーサン自分と娘との間のことしかよくわからない。と頑なに思いすぎなのだろうか。いや、ほんとのところは、娘とのことだって、迷いも不安もいっぱいなんだ・・・。
そうか、自分が迷いも不安もあるから、迷いの無い断言に反発するのかな。そして今日の日記みたいなこと書いて、自分に逃げ道を残してるってことになるのかしら。
「押し付けないで」を「押し付けている」という矛盾、自分でもわかっている。
※追加(しつこい) 「それでも最善を尽くす」のが育児ってこと?そして「最善」ってひとつじゃないよね?
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