言葉的遊戯
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2002年07月13日(土) ココロの迷走

自分はもしかしたら、ココロの病なのか?って思うときがある。
いいや違う、こんなのは誰にあることだ、と思いこむようにすることもある。
でも本当の答えを見つけることは一生できないような気がする。

自分でもどうしようもなく喪失感?っていうか、焦燥感っていうか、
振り返っても、どこを見ても、何もかもが自分に背を向けているような気がして、
必死になってもがこうとも、何をしてもそこから逃げられないような、
そんな感覚に襲われることがある。
「ねえねえ」って誰かに声をかけられて、「なに?」って振り返ると、
声をかけた人の姿は、もうそこにはなく、
そこには、ただ「無」の世界が広がっている。
見ているだけで「何か」をひどく奪われた気分になり、
感じているだけで「何か」に汚される気がする。

「ON」と「OFF」、上手に自分でコントロールできることができれば
全然問題ない。でも、それが上手にできないとき、
勝手に「ON」になったり、「OFF」になったり、
少し前までふつうだったのに、突然焦点がずれだして、ひどい顔をしていたり、
ふさぎ込んでいるのが突然、はしゃぎ出したり。
それが混在し始めると悪い兆候になってしまう。

きっと、僕が迷走しているときっていうのは、
僕が完全に現実とは遮断された空間に意識が飛んでいるのかしら?なんて
思ってしまう。もちろん、そんなことは言い切れないけど、
自分の状態を簡単に言うとそんな感じが一番適切になるのかもしれない。
僕が勝手に「OFF」になると、僕は真っ暗な世界にいるのかもしれない。
それは、あまりに突然で、
自分でもどうしていいのかわからなくなるのではないだろうか?
それで僕はひどく混乱する。
でも、真っ暗な世界だから、何をしたって見えるはずがない。
だから、よりいっそう混乱するのだろう・・・。

今日は少しでもそれから自分を守れるにはどうすればいいか、考えてみた。
きっと、僕がそういう状況に陥るのは、すべてにおいて満たされているときを
のぞけば、いつだってあり得ると思う。
そして、すべてにおいて満たされる時なんて、これからの一生で
どれだけの時間があるのだろうか?
僕は絶えず、何かしらの欠損にココロを痛めているのだ、と思う。
(それが僕の知るところであれ、そうでなかれ)
そして、僕はそのたびに真っ暗な世界にいるのかもしれない。

自分の陥った、真っ暗な世界にいることを自覚できた時点から、
僕はとりあえず大きく呼吸をして、じっくりとその場にとどまって、
真っ暗な世界に「慣れる」べきだって思った。
実際のところ、しょっちゅう関わる世界なのだ。
実はそこは、僕にとっても「慣れ親しんでいる」世界なのかもしれない。
僕はそこにいるって自覚した時点から、
じっくりと自分をその世界に「慣れ」させて、
自分の目(ココロの目)が、しっくりとその暗黒に「なじむ」のを待つのだ。
いつしか、自分の手くらいなら見えるときがくるはずだ。
目がしっくりと「なじんだ」そのときに僕は動き出せばいい。
別にそれくらいの時間は、たいしたことないはずなんだ。

ここまでなんとか、自分の支配できていない世界を理解しようとは
してきたけれども、きっとこれからもずっと、僕は真っ暗な世界で
何度もパニックになってしまうのだろう。
少しはその世界に「慣れる」ことができるのかもしれない。
でもきっと「本当の意味」で僕がそこに「なじむ」ことはないと思う。

「いたちごっこ」のように生きていくことが、すべて、なのかもしれない。
でもそれでいいんだろう。
僕らはその不可解さを糧に生きているかもしれないんだから・・・。



★昔の僕はこんな日々を送っておりました!★



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