昨晩、医師の説明により、「あと2〜3日がヤマだろう」と言われたのですが、 仕事上何日もいるわけにいかないと判断し、一旦トーキョーに帰ることにしました。
私はうなぎの国に残るか、夫についてトーキョーに戻るか、とても悩んだのですが、 うなぎの国には親戚が大勢いるけど、 夫に付いて行けるのは、なつしかいないと思い、トシトシと共に行動すると決めました。
夜うなぎの国を出発し、トーキョーに到着したのは深夜12時。
金曜日に、全て放り出したまま出てきてしまったので、 食器を洗ったり、ゴミの片付け、魚たちのエサやりなどをして、
1時過ぎにベッドに入って ウトウトウト・・・・
そして深夜3時、またも病院から電話がかかってきました。
「お父様の呼吸が停止しました。すぐに来て下さい。」
すぐに実家や親戚に電話をかけまくり、私達も旅支度を始めました。
海外旅行用のスーツケースに、 喪服や靴、そして一週間分の洋服、カメラ、通帳や実印などを全て詰め込み、 明け方暗い中、またうなぎの国へと出発しました。
朝焼けの中、東名高速を走っていると、 朝日に照らされた富士山が赤々と浮かび上がってきました。
PAに車を止め、朝日と富士山の写真を撮りました。 義父が見守ってくれているような、神々しい富士の姿でした。
義父は、なつたちが遊びに行くと、 いつも帰り道、手作りの焼きオニギリを持たせてくれました。
(これは夏にもらったもの)
そのオニギリのおかげで、車中いい匂いで、 いつも富士川のSA辺りで、富士山や夜景をみながら食べたものでした。
もうあのオニギリは食べられないね。
トシトシと一緒に、富士山にずっと手を合わせていました。
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過去の今日の日記
2005年11月13日(日) 悲しい散歩
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