2006年11月12日(日)  眠れない夜(3)


昨晩病院から呼び出され、
深夜12時頃、再度10名ほどの親戚が集中治療室(ICU)に集まりました。


医師の話によると、

・脳梗塞を起こした右脳が急激に腫れあがり、左脳を押しつぶし、脳ヘルニアを起こしている。
・手術も可能だが、2〜3日の延命に過ぎず、どちらにしても意識は戻らない。
・肺炎などの合併症を起こす危険性が高く、この数日がヤマだろう。

とのことでした。
延命治療は行わない、ということで親戚一同同意しました。



義父は酸素マスクをし、苦しそうになんとか呼吸を続けています。
手を触ると、かなりの高熱のようす。

ICUの枕元にあるモニターには、
脈拍、呼吸回数、酸素量などが表示されていて、少しでも異常数値が出るとアラートが鳴り響きます。



しばらく見守っていると、看護士の方から
「数値が安定しているようなので、良かったら家族用の待合室でお休みください」とのこと。


提供された部屋は、寝具もない約3畳の和室。
そこに、10名程の親族がスシ詰めになって夜明かしです。

親戚は年寄も多いので、車からシュラフや毛布を運び入れました。
(いつも持って歩いていて、こんな時に役立つとは)




なつとトシトシは、ICUの入り口横のベンチにずっと座っていました。


その時ICUには、4名の患者が入院していました。

その晩、私たちが見ている前で、2名が亡くなりました。
まるで息を引き取る順番待ちをしているような、苦しい苦しい夜でした。




朝日が昇る頃、義父の容体も変化がなかったため、
全員一旦帰宅することにしました。親戚一同も体力の限界です。



実家で少し昼寝をし、昼またICUへ面会に行きました。

義父のベッドを見ると、どうやら少し吐血したようです。
数値に異常がなくても、時間ごとに徐々に悪化しているのが分かりました。

それまでは実感がなかったのですが、その血を見た途端、
トシトシと二人、一気に「死」の現実に直面した気がしました。



二人で、叫ぶほどに号泣しました。

「危篤状態」なんだ、とようやく実感しました。






夕方実家に帰り、少しウトウトし始めると、
また病院から電話が入りました。


「容体が安定しているので、ICUから個室に移します。」


すぐに病院に行くと、
個室のベッドで、義父はおだやかにスヤスヤ眠っていました。
殺伐としたICUより、静かで落ち着けるのかもしれません。



医師からは、

・容体は決して良くはなっていない。
・火曜・水曜あたりが一番危険だろう。
・最期のお別れには、ICUより個室がいいかと判断しました。

との説明でした。



それを聞いたトシトシは、今晩一旦、トーキョーに帰る決意をしました。
もちろんなつも一緒です。




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今日のおやつ <みそまん・0円>




義父が倒れる直前に、ご近所の方にいただいたそうです。
うなぎの国の銘菓みたいです。

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