恋愛日記



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「誰かあたしを食べてくれればいいのに」
 隣にいた雅治は一瞬目を丸くして、そして瞳の奥で薄く笑った。弧を描く唇が艶めかしい。
 いや、あたしそんなつもりで言ったんじゃあないんですけど。
 海洋生物の食物連鎖を映し出した映画のシーンは、蒼い水中の気泡が飛び散る中、無残に、でも冷徹なほど美しく映える濃紅で埋め尽くされた。
 例えばあたしが魚だったら、あの巨体から逃げられただろうか、否。
 プランクトンが魚に食べられ、魚が撚り大きな生物に食べられ、色んな経緯を辿って私達が食すように、あたしも誰かに食べられてしまえばいいのに。
「なんで人間が食物連鎖の頂点にいるんでしょう…」
「不毛な考えを巡らすのはやめんしゃい」
「そうだけどー」
「お前は、俺が頭の天辺から爪先まで残らず食ってやるけぇ」
 そういうなり、雅治はあたしの旋毛にキスを落とした。それはそっと触れるような柔らかいもので、段々と目蓋に落ち、鼻筋や、頬を伝い、首筋に辿り着いた時、歯を立てて噛み付かれた。
 舌先を尖らせて鎖骨をなぞり、首や肩の皮膚が薄くてあたしが感じやすいところを甘噛みする。顔にかかる痛んでパサついた雅治の髪から香るフレグランスが厭に扇情的で、どうにも困った。
 全く。今の視界はテレビから漏れる薄暗い光と、灰黄緑に光る線状の細かい筋ばかりだ。
 あたしが雅治で満たされれば満たされるほど、駄目になっていくことをこの男は知っているんだろうか。確信犯としか思えない。この詐欺師め。


2006年11月13日(月)
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