Opportunity knocks
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| 2002年05月10日(金) |
undertow と undertoad |
ひき波とひきがえる。 この言葉は、この小説を最初に読み終わった時からずっと心に残っている。 (すみません、またガープの世界の話です。興味のない方にはすごく退屈な文章です。ご容赦下さい。。)
山で育ったわたしにとって、海はいつもどこか近寄り難い雰囲気を持っていた。 足首を掴まれて、一気にどこか暗い場所へひきずりこまれるのではないか、 ひき波を見ていると、よくそういう気持が起こった。 そしてひきがえるも。 生臭い息を吐き、ぬめぬめとした音をたてながらいつのまにか近づく、 どこか得体のしれない醜い生き物。
同じような発音のこのふたつの言葉は、この小説の中で不吉の象徴として書かれている。アーヴィングはこういう言葉をすごく巧みに使う。
「ねえ、憶えてる?」飛行機の中でダンカンがいった。 「ウォルトが緑色かなあ、それとも茶色をしてるのかなあ、っていったこと。」 ガープもヘレンも笑った。でも、ひきがえるは緑色も茶色もしていない、 とガープは思った。ひきがえるはぼくだ。そしてヘレンだ。 その色は雨の夜の色。その大きさは自動車の大きさ。
ひき波やひきがえるが持つ不吉なイメージは、言うまでもなく人間が作り出したものである。ひき波はひき波以上のものではない。それと同じでひきがえるは ただのひきがえるにすぎない。しかし、いったん人が意味をもたせると、ひき波はただのひき波ではなくなるし、ひきがえるはただの蛙でなくなるのだ。
今は、ベンセンヘイバーの世界の部分を読んでいる。 ガープはなぜあの小説を書いたんだろう・・ ひとりの子どもを死に追いやった、自分の内面にひそむすさまじい暴力の発露 なのだろうか。 とりとめのないことばかり考えながら読んでいる
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