Opportunity knocks
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母親が帰ってこなくなって今日で3日が過ぎた。 カレンダーを眺めながら数えてみた。間違いない、今日で4日目だ。 こういうことは今までも何回となくあった。 学校から帰ってくると母親がいなくなっている。夜になっても帰ってこない。 帰ってくる気配もない、もちろん電話もかかってこない。そして、何日間か経った後ふらっと帰ってくる。 何事もなかったみたいに。
物心ついたときから母親とわたしは2人で暮らしていた。生物学上の父親はいたには違いないのだが、少なくともわたしはその姿を1度も目にした事がない。母親に幾度か父親のことを訊いたことがあったが、母親はきちんと説明してくれるどころか、わたしのその質問に対して怒りをあらわにした。それ以来わたしは母親に父親のことを訊くのをあきらめた。もともといないものだと思えばいい。そんな風に自分に言い聞かせた。
母親が最初に家を空けたのは、わたしが五歳くらいの頃だっただろうか。 近所に遊びにいって帰ってみると、家には誰もいなかった。 そのまま夜になるまで待っていたが、母親は帰ってこなかった。 家中の食べ物をあさり、それをたべ、布団を被り震えながら眠った。 朝起きても母親は帰ってこなかった。 どうすればいいのかわからないまま一人で幼稚園に行った。 誰にも何も言えなかった。 「お母さんが帰ってこないの。」 そういって誰かに助けを求めることができなかった。 近所づきあいも殆どなかったため、何かを相談できる人はわたしの周りには1人もいなかったのだ。 結局、2日後に母親は帰ってきた。幼稚園から帰ると、食卓の上に突っ伏した母親の姿が見えた。気が緩んだのか、涙がでた。母親が帰ってきて嬉しかったのか、それともただ単にほっとしただけなのかわからない。 そのうち母親は起き上がっていつものように夕食のしたくをはじめた。 母親は何も説明せず、なんの言い訳もしなかった。何事もなかったかのようにまた日常がはじまった。 でもわたしにはわかった。これは繰り返されるものだということが。 母親はまたどこかへふらりと出かけてしまうのだろう。わたしのことをこれっぽっちも省みることなく、ある日突然いなくなってしまうのだ。 強くなろうと決心した。すべてを受け入れよう、そのために強くならなければならない、そう思った。 実際にそれから同じように、母親はふらりとどこかへ行ってしまう事が何回かあった。その度にわたしは強くなろうと努力を重ねた。1人でも生きていける、誰にも頼るまい、そう繰り返し心の中で自分に言い聞かせた。
そんなわけで、今のわたしは母親が帰ってこないからといってめそめそしたりはしない。またいつものことかと思うだけだ。
母親は大抵いつも男と一緒だった。社会の道からはずれたようなろくでもない男。捨てられてはまた新しい男のもとへと走り、また捨てられる、その繰り返しだった。自分を幸福にしてくれそうな地道なタイプの男には目もくれず、なぜかろくでもない男ばかり母親は選んだ。水商売で生計をたてていた母親にとって、そういう男たちがまわりに近寄ってくることは必然的だったに違いないが、わたしにはよくわからない。なぜ母は、自分から不幸を呼び寄せるような生き方しかできないのだろうか。わたしにはわからない。
ちらっと時計を見ると、もう1時をまわっていた。母親が帰ってこないことなどいつものことなのに、なぜか気になる。今夜は眠れないかもしれない。
母親のわたしに対する愛情があまり期待できないことを悟ってからというもの、わたしはできるだけ、自分自身強くなろうと日々頑張ってきた。与えられないものを欲しがったとしてもいったい何になるだろうか。失望するだけだ。 失望することのみじめさを味わいたくないがため、わたしは何かに期待することをやめた。そして、与えられたものだけを従順に受け入れる人間になっていった。
時々わたしという人間がいったいどこにあるのかわからなくなることがある。今こうして生きている自分、ただ呼吸をし、人間として最低限生きているわたし。 わたしという人間はいったいどこに存在しているのだろう。 わたしという人間を形作る核のようなもの、それは、誰かに愛されたい、誰かを愛したいと強く願っている。それは本当のわたしの姿なのだろう。でも、それはわたしの心の奥底の、誰にものぞくことのできない深い部分に沈んでしまっている。 感情の振り子をとめることで、その振れ幅を少なくすることで、ようやくわたしは生きている。本当の自分の存在を無理やり否定しながら生きている。
いつの日か、自分らしく生きることが出来る日がくるのだろうか。誰かに愛され、誰かに求められる日がはたしてくるのだろうか。そう確信をもって生きられる日が? でも、今のわたしには途方もなく感じられる。そう考える事自体、今のわたしには哀しくて辛いのだ。 母親の姿が見えないものかと、窓の外をぼんやりと眺めた。薄暗い街灯に照らされた桜の木がぼんやりと見える。夜風に吹かれた花びらが蝶のように、空中をひらひらと漂っている。 その中にわたしは母親の姿を求めた。さびしい光景だった。その中にはひとすじの明かりも見えてこない気がした。それでもわたしはその中に何かを見出そうとしていくのだろうか。 何らかの恩寵がわたしに与えられるのを待つのだろうか。 ただひたすらに。
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