Opportunity knocks
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2002年03月21日(木) 共同通信の村上さんの特別寄稿を読んで

共同通信の、村上春樹さんの特別寄稿を読んだ。
読みながら、もう7年もたったんだなと少し驚く。

7年前の3月20日の朝、わたしはコドモと一緒に新宿駅にいた。
連れ合いの大学の卒業式のため、前日から東京に来ていたのだ。
わたしとコドモは、卒業式に出席する連れ合いを見送りに新宿駅にきていた。

連れ合いを見送ったあと、空いた時間にどこへいこうかと駅の中をコドモと2人でぶらぶら歩いていた矢先、「地下鉄内でテロ発生」というニュースが駅構内に響き渡った。一瞬何が起きたのか訳がわからなかった。ニュースする側も事態がうまく把握できていない感じだったし、すべての人が冷静さを失っていた。
何か普通ではないことが起こったのだと思った。

すぐ宿泊先のホテルに戻り、テレビのニュースを見た。
そこで見たものは俄かに受け入れられるようなものではなかった。
現実感がなかった。一瞬、どこか別の世界で起きた出来事のような気がした。
でも、それは間違いなく自分が住んでいるごく当たり前のこの世界で行われたことだった。そう思ったあと急激に恐怖感が襲ってきた。
連れ合いが大学から帰ってくるまで、金縛りにあったように動けなかった。

連れ合いが大学から戻って、わたしたちはすぐ新幹線に乗って名古屋へ戻った。
山の手線に乗っているときも、東京駅の構内を歩いている時も、新幹線にのっている時も、訳のわからない恐怖は頭から消えなかった。

あのときの恐怖と痛みはいったい何だったんだろうとよく考える。
たぶん、自分をとりまく世界においてそのような暗部が存在していたということがショックだったのだろうと思う。

「この世界には閉じられたサーキットがいくつもある」と村上さんは書いていた。
そこには、共生を求めず自らの世界を構築しその中で生きることを望んだ人達が存在している。
強固に作り上げた世界に住んでいるものたちに、今更広い世界にコミットせよと求めるのはすごく難しいことだろうと思う。
でもそれをこのまま放置しておくわけにはいかないのだろう。放置した結果、社会はより深刻な問題を抱えるに至ってしまったのだから。

彼らを自らの痛みとして許容しなければならない、と村上さんがいうように
わたしたちは「閉鎖されたサーキット」に対して手をのばしていかなければいけないのだろう。

それができたときにはじめて、あの時の恐怖感なり痛みみたいなものは癒されていくのかもしれない。






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