TOI,TOI,TOI!
15日土曜日、『Sinfonietta Frankfurt』のコンサートがあった。 場所はクロンベルクで、マライケの実家のすぐ近く。 主催はKronberg Academy。
ブッフベルガー指揮、私コンミスで、曲目はモーツァルト『イドメネオ』からの抜粋と、チェロ協奏曲2曲だった。 ソリストはトーマス キャロルとダンジューロー イシザカ。 ふたりとも、本当にすごかった・・・!いい経験させてもらった。
なんとふたりとも、もらった花束を私にくれた!ダンジューローくんは自分の前の人も同じことをしたのを知らなかったのだが、会場はどよっとなって、二人のソリストが偶然同じ行為をしたことに「あら、また!」と喜んでいた。 ちなみに男のソリストがオケの女性に花束を渡すというのは習慣化しているような気がしますが皆様の周りではどうでしょうか。
ダンジューロー(団十郎)君との最初の練習の日に、自分の名前を言ってよろしくと言ったら、「ああ日本人ですかー!」と日本語が返ってきた。 彼は日本人とドイツ人のハーフ。日本語はあまり得意じゃない。←本人談
「今、日本から帰ってきたばっかり。初めて日本のオケと弾いてきた。うれしかった」 と彼はドイツ語で続けた。
ドイツ生まれドイツ育ちで、ドイツ人として育ってきたが、日本でデビューできたことがとてもうれしかった、と彼は言う。自分にも日本人の血が流れているから、だという。
彼はベルリンの大学にまだ学生として在籍している。彼が1998年以来ついている先生が、世界的チェリスト、ボリス ペルガメンシコフ。
ある日私はバンベルク響のチェリスト、マティアスから電話をもらった。 「明日テレビでマーラー指揮者コンクールのこと、ちょっと出るらしいぞ。」 それで私はテレビを見ていた。オケが写ったのはほんの2回、計2秒。なあんだと思っているうちに、同じ番組内でその訃報が流れた。 ボリス ペルガメンシコフ氏死去。享年55歳。
「Kronberg Academyは、正にペルガメンシコフによって支えられていた。彼の人柄に皆助けられていた。彼なしでこれから音楽祭はどうなってしまうのか想像がつかない」とマライケ。
マライケはクロンベルク出身。Kronberg Academyによる音楽祭でしょっちゅう裏方を手伝っていた。譜めくりなんかはしょっちゅう。 だから超大物演奏家をたくさん知っている。もっとも相手にとって見れば『ボランティアの女の子の一人』でしかないのだが。だからペルガメンシコフのことも知っている。どんな人だったか知っている。
ペルガメンシコフは、実はもう長年の間がんと闘っていたという。 あるドイツ語のサイトに、彼が家族に対して言った言葉が載っていた。
「誰も私が壊れていることを知ってはならない」
彼が亡くなった時、弟子のダンジューロー君は日本全国でデビューを飾っていた。4月29日がN響との共演。ペルガメンシコフが亡くなったのは4月30日。その後5月8日は東響との共演で、別の曲での本番だったという。
ダンジューロー君との、シューマンのコンチェルトの本番はものすごく楽しかった。彼からどんどん紡ぎ出される音楽に私も精一杯答えたつもりだ。 彼はアンコールでバッハを弾いた。気持ちのこもった美しいバッハだった。師匠のことを考えているのかな、師匠の教えをたどっているのかな、と思いながら聞いた。
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