自分が死んだらどうなるのだろう。 いつかはやってくる現実。考えるのは怖いけど、必要以上に怖がるのもバカらしい事実。。 なんとなく、ただ、なんとなく。とりあえず、今死んだらどうなるか考えた。 不意に思う。 自分が死んだら、この本の山は何処へ行くのだろうか。
こにゃにゃちは、あまつばめです。 文字化けではありません。間違いでもありません。わざと書きました。通勤中の黒い子猫がかわいかったので、つい。 この猫、よく、遠くを見ています。 横に並んで視線を追ってみるのですが、特に見えるものはありません。 人間の視線と猫の視線では興味を引きつけるものが違います。 どこかゆったりとしている体勢で、目だけは鋭い黒い子猫。それをゆるんだ目で見て怪しげに小躍りする人間。 ・・・我ながら異様度、すさまじいです。
部屋の本棚に納められた数多の本。 たぶん、私の一番の財産です。 金銭的にはもっと違うものもありますが、精神的にはかけがえのないものであることは確かです。 これらを、いつかは手放すことになるでしょう。保管することが難しくなったときか、保管する人がいなくなったとき、この本はどうなるのでしょう。 本は好きなのですが、死んでまで一緒に・・・とは思えません。棺桶に入れて一緒に燃やしてもらう人もいるでしょうが、灰になったら読めないですし、道連れにするのは大事にしていたことに反している気がします。 やっぱり、本は読まれてこそ本ですから、誰かが読んでくれるようにするべきです。
でも、誰がもらってくれるのでしょうか?
家族? 趣味が違いすぎます。
友人? たぶん、同じものを持っているでしょう。 というか、もらって古本屋に売ってくれそうな方ばかりです。 たのもしすぎます。
じゃあ、最初から古本屋? お金にもなりますし、悪くないでしょうが、多々の事情により、それは嫌な気がします。
いっそのこと、図書館にでも寄贈するとか・・・ 小説はともかく、マンガまで引き取ってくれないでしょう。 ベターな気はしますが、ベストではありません。
こう考えてみると、趣味で集めたものほど、他人に譲るのが耐えきれないのでは? 人の生きた功績であり、さまよった道筋みたいなものだから、1冊の本でも同じ気持ちにはなってくれない。それが寂しい。 どうせならわかってくれるひとでなくては嫌だとワガママ言いたいのです。
いつ来るかわからないことをですが、確実に来るはずの『死』。 カタチがあるものに残したカタチのない『生』。 私は何処に折り合いをつけるのでしょうか。 背表紙を見つつ、考えてしまいました。
『がんばって集めても、あんたが死んだらただのゴミ』
何処かで聞いた誰かの言葉は、笑えるほどに真実を言っている。 死んだ後、どうにかできるわけではないので、ゴミのようなものです。 でも、何か感じてくれたら、ただのゴミでは終わらないのかも知れません。 オチがついたところでおやすみにゃさい。
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