心地よいあたたかさになってきている。 コートはもういらないくらいに。 頭の中にこもった熱を春の雨が奪っていく。 霧のような雨は冷たくて、顔いっぱいに広がって、それがなんだか気持ちよかった。
あたたかさと冷たさが気持ちよかった。
書き過ぎた反動か、今日はボ〜っとしている。 明日には戻るかね。
<Think about the father>
あれは高校2年の3月。もう春休みに入っていて、次ぎに学校に行くときは3年生になる時だった。
私の通う学校は、ハッキリ言って進学という観念が薄い。ほとんどの生徒は就職するか家業を継ぐかして社会に出る。大学への進学を考えるものはほんの一握り。3年生の5%を割っているだろう。 私はその5%を目指していた。正直、この学校に入ったときも最初から進学するつもりでいた。 知識を得ることは嫌いじゃなかったし、自分の好きなものの不思議を解き明かしていくことは最高の快感だ。難解な数学問題を10分も20分もかけて解いたときや顕微鏡をのぞいて細胞を確認したとき、脳内麻薬がすさまじい勢いで流れ出ていただろう。うん、そうだ。私は理数系が大好きだったのだ。 文系に関しては普通かそれ以下の理解力だったが、時間をかけて『試験で点数を稼ぐ勉強』をしていた。見栄えよく、本当はわかっていなくてもそれなりに正解する勉強。こっちはただの苦痛だったけど、好きなことをやるのに不可欠だったから、やらなきゃいけないと思っていた。 好きなことをするのに努力なんてしない。だって、努力というのはできないことをやるためにすることで、楽しいことをさらに楽しくしようとするのは好奇心というなの欲望だった。「がんばっているね」とかけられた声も、私にとってはただ楽しんでいる行動を勝手に他人が評価しているだけだった。がんばっているなんてとんでもない。目標を決めて好き勝手やっているだけで、がんばるのはこれから。何の特にもならない「受験用」勉強に切り替えて楽しい勉強を我慢することの方だった。
それは部屋で本を読んでいるときのことだった。 父と母が「話があるので居間まで来るように」と言ってきた。 私も父に話があった。まだ話していなかったけれど、○○大学に照準を合わせることにしたのだ。○○大学は家からも通える距離にある。私学なので金銭はかかるが、一人暮らしをすることを差し引けば自宅から通った方が負担にならない。自分のやりたいことと少しでもよけいな負担をかけたくないと悩んだ末の結論だった。
居間に行くと、父と母が神妙な顔をしていた。 とりあえず、先に話を聞くことにした。 話があると呼び出したのは両親の方だし、進学の話は後でもできることだったからだ。 しばらくの沈黙の後、母が言った。
「おまえ、進学するのあきらめて就職してくれないか」
なにを言っているのか理解できなかった。理解したくもなかった。 しばらく喋ることを忘れて両親からの一方的な通達を受けていた。
要すると、父には家に内緒の借金があり、そのことが今になって母親に知られた。生活自身は何とかやっていけるのだが、進学費用などの余裕はない。ここは家を助けるつもりで私に就職をしろ。できることなら少しでも家にお金を入れてほしい。
悔しいことに、道理のわからない年ではない。 17歳という年齢は社会的に未成年と見られていようと、親の保護下にあろうとも、学校で友達と笑っているとしても、しっかりとした意志や思考ができる年齢だ。 現実を知っている。奨学金やアルバイトをしながら・・・というのは、今日からではどうにかならない。不可能なのだ。奨学金を受け取れる成績ではない。アルバイトをしながらお金を貯めても十分な額にはならない。勉強時間を削れば受かる自信などない。ないないづくし。完全に頼っていたものがなくなり、自分でどうにかすることも不可能。できることはあきらめることのみ。 でも、そんなに素直にあきらめられない。意味のない反論をしようとしたとき、父は言った。
「大学に行っている兄や私学に行くことの決まった妹にやめてくれとは言えないんだ。おまえなら、あきらめるだけでいいんだ」
正論を説く父の言葉、私にはこう聞こえた。 「長兄や長女のほうが大切だ」と。 私は進学することをあきらめた。
私の楽しかったことはそれ以降、色あせてしまった。先が見えるから歩くことができる。真っ暗な世界では自分が進んでいるのか、それとも同じ場所をぐるぐる回っているのか見当がつかない。もっと上を望んでいたから、今が楽しくて確かな手応えを感じられるのだ。 正論ほど納得できず、邪なへりくつを考えたくなる。そうやって逃げられれば楽だから。落ち度は自分にないと偽れるから。
自分のことで思うことがある。 それは兄弟妹の中で一番必要とされていなかったのは弟ではなかったのかと。 昔気質な父にとって跡継ぎの息子がほしかったはずだ。それは第1子の兄で十分だった。 次にほしかったのは息子だろうか?娘だろうか?それとも、どちらでも関係なかったのだろうか?妹のことで父から聞いたことがある。 「もし妹でなく弟だったとしたら、妹が生まれるまで子供をつくっていた」 酔いながら告白する父。私が息子でなく娘だとしたら、妹はこの世に生を受けていたのだろうか?確認したことは、ない。確認してただの『はずれ』だと認められたら耐えきれなかったことだろう。
それから2年後、兄は順調に勉強をしていた。強い希望もあり、大学院に行くことになった。 その間に聞いたことがある。
「兄さん、大学院に行くことになったね」 「ああ」 「家計、苦しくないの」 「苦しいだろうな。でも、あいつの一生に一度のことだからな」
『・・・・・・・・・私の一生も、一度しかないのに』 その一言は言わなかった。
つい最近、自宅に怪しげな勧誘の電話が、これこそひっきりなしにかかっていたときのことだ。 父も腹立たしかったのだろう。酔っていることもあった。それらしい電話をとったとき、こういった。
「死にました」
相手も混乱したことだろう。周りで聞いている家族も混乱した。いったい、なにが死んだのか? すぐに電話は切れた。 その後に父は言った。
「おまえ、死んだことになったから」
勧誘の世界で私にはドクロマークがくっついた。斜線か黒マーカーかわからないが、消されたのだろう。 それに関して、私はなにも言わなかった。勧誘を手っ取り早く断る方便だと自分に言い聞かせ、笑った顔で「ひどいなあ」と言った。
次の日、また父が電話をとった。 そして、言った。
「△△(兄の名)はアメリカに留学しました」
父の中で私は殺しても構わなく、兄は勉学に励む誇らしい息子なのだろう。 私は思う。父にどのくらい必要とされているか考えたり答えを求めたりする必要はない。「おまえは間違いで生まれたのでなんにもやってやる気はない」と断言されてしまうなら、それはそれですっきりすることだろう。 父のご機嫌をうかがうために生きているわけでも、父に何かするために生きているわけでも、たぶん、ない。起因が間違いだったとしても、こうして育てられ、考えて、そうして、生きている。誰かのためとか、何のためとか、理由づけるのは後で決めればいい。誰にも必要とされていなかったのなら、必要と認めてくれる人を捜せばいい。使われることがサガの道具は使われなくなるとすぐに朽ちると言うが、私は道具でなく人間だ。朽ちるまで待っているのでなく必要としてくれるものを探しに行けばいいのだ。一人も必要としてくれる人がいなかったって、証明するには100年あったって足りないことだし・・・・・・・・・本当に不必要のがらくたなのかわかるまで、まあ、生きてやろうか。
|