ふつうっぽい日記
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2016年08月15日(月) |
この風は、誰かの前にも吹いた風 |
影響を与えられた、というけれど、それを主体的に「動」として受け止めたのは一方通行に過ぎない。
文章家というのは、引き裂いた人、自分を引き裂いた人だと私は考える。 上から下へと。 一度引き裂いてしまえば、あとは、その断面のメッセージの声を聴けばいいだけだ。 文章は、その断面のメッセージの集合体にすぎない。
だから読者は断面しか分からない。 断面を見て、形を想像するのだ。 断面は同じでも、それぞれが想像する形は違ってくる。
国語の、学校の国語、問題集の国語は、球体なんだろ。 きれいな、整った。 その球体を、様々な形に変えていくのは、それぞれの読書的体験だ。
今、風が吹いた。 この暑い自室の中に。 この風は、誰かの前にも吹いた風。 やさしく、涼しげな風だ。
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