ふつうっぽい日記
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2016年08月11日(木) その始まりの時に

先週から、ウォーキングをしている。
散歩といってもよい。

私はといえば、帰る時や帰った後のことをその始まりの時に考えていることが多い。
ウォーキングの時に限らず、コンサートや観劇の類も。
終わる時のことを考えていることが多い。
盛り上がっているときに、ペンライトを振っているときに、帰りの電車の中のことを考えていたりする。
といって、「出逢い」の時に即座に「別れ」のことを考えているのではない。
すぐにというか、超越しているのだ。
出逢いの途上で、別れを想い、本来の別れの時、新たなる出逢いや再会を設定しているのだ。
とはいえ、たしかにそこには、「悲しみ」「寂しさ」「空虚感」の様な気持ちは存在する。

自分一人の時間の流れの中にあっては、感じきれなかったこと、思いが発生しなかったことだ。
そこには、「他者」が存在している。
「他人」ともいえるが、私は「他者」という表現にこだわりたい。
「役者」に似ているからかもしれない。

「わたし」も「他者」からすると「他者」である。
「わたし」の存在によって、どういう想いや感情が発生するものだろうかとふと思った。
それは、とてもちっぽけなものだ。

「わたし」の存在、それでも、「わたし」が「他者」を必要とする限り、設定する限り、「他者」の中の「わたし」もきっと同じような思いを抱いていると思いたい。


KAZU |MAIL