昨日、我が家で作った赤飯を実家へお裾分けに持って行った。父が「蜂の巣の半分が、誰かによって駐車場に投げ込まれた」と言った。母と私と夫は「風で飛ばされてきたんだよ」と言った。すると、父は「言われてみれば、退治された跡があった」と言った。被害妄想的な状況が対話によって分解されたと後から思ったものだ。対話の大切さを学んだ。