Wanderings / 千津
目次 初日 最新日 リアルタイム

 2004年07月13日(火) 忘れるのは失礼ですか 

ようやく恋人と別れることができた。とにかく別れたかったから「もう終わりにしたい、好きではない」とはっきり告げた。相変わらず「嫌だ、納得しない」(この恋人に対していつもも違和感を感じていたのだけれど、同意の上に成立する曖昧な関係は、片方が不同意の時点で不成立に変わるのだから、この言葉はとても的外れなのではないだろうか)と言ったけれど、私の意思が変わらないのを感じた途端に、私と私に関する時間を全て否定し始めた。好意的に解釈すれば見苦しい感情を恥を忘れて吐露するほど私に思い入れがあったのだろうけれど、どのみち別れるのだから悪態をつくところで意味が無いばかりか不愉快な思いをするだけなのに、それを経ることを選ぶ人は理性的ではないなと思った。前回の別れ話から恋人は感情を悪いほうに爆発させやすい人だという事と、一度その姿を晒したからか今回は躊躇無く思うがままをするのだなという事がわかっていたので、それで収まるなら楽な事後処理だと思ったけれど、やはりこちらも不愉快に感じることに違いないし、別れ際に相手の醜態を見なければならないのは辛い。恋人にしてみれば私の反応に手ごたえが無いのがなお更腹立たしいのかもしれないけれど、相手の寸劇につきあうほどの関心は無かった。

私の相手が悪いだけなのかもしれないけれど、今まで私から別れを切り出した人は皆、始めは「別れても友達でいられる」と言うのに、別れ際には逆上し、私を否定し、強がりを見せて自分のペースに持ち込もうとする。別れ際にかけひきごっこをされても見苦しい。私は付き合い初めから別れを想定していることを相手に告げて、先のようにならないかと必ず確認するのに、誰一人として本当のことを答えない。

私とて恋人に非を責めたいことはいくつかあるけれど、どちらかが一方的に悪いことはあり得ないので、非の責任は折半で良いし、だから責め合いなんていらないと思うのに、恋人は自分だけが傷つき、私に全て非があり、私は何も答えないから傷つかず、自分が責められる事項は無いと、一瞬でも感情に酔って忘れるのだろうか。だとしたら幻滅してしまう。幻滅する前に別れたいと思っても、皆、自らそれを招いていることに気づかないのだろうか。

物事の道理をわきまえた、もう少し多くのものを許せる人がいたらいいのに。

だけど天気は良いままで、彼氏とお弁当を持ってお昼を外で過ごし、午後は勉強して、晩はまた彼氏と過ごす、いつもと変わらない時間が流れ続けていて、別れはほんの半日前なのにもう忘れてしまいそうになるから、ここに記すことにした。(記したら気持ちの整理がついて、今度こそ忘れてしまいそうだけれど。)

やはり忘れるのは失礼ですか。


目次 初日 最新日 電子メール ホームページ リアルタイム