原案帳#20(since 1973-) by会津里花
★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲

2004年08月28日(土) 少し平安を取り戻した

★1・少し取り戻した平静/平安
★2・Re:「無茶」
★3・理由(わけ)



★1・「平静」?「平安」?それはよくわからないけど

あるところで
おまえはどうして妻と別れたのか
と聞かれて、以下のように答えた。

---------------------------------

わたしは自分が彼女に対して(たぶん今で言うなら)「DV加害している」という自覚は全くありませんでした。
ただ、彼女とわたしの間にとても多くの行き違いがあり、またお互いに傷つけあってしまったせいでお互いの気持ちがどうしてもわかりあえないようになってしまっていたこと、お互いに一緒に暮らすことでその傷はむしろ深まっていってしまうであろうこと、そういうことが見えてきたのです。

そうは言っても、当時のわたしには彼女の気持ちを推し量るような余裕はとてもなく、なんで彼女が怒って実家に帰ってしまったのか、ほとんど理解できませんでした。
ただ、彼女がそこまでするからにはわたしはよっぽどのことをしてしまったのだろう、ということだけはわかりました。

それで、彼女が逃げたことへの復讐も実は半分はあったのだけれど、「離婚」という結論を出したのです。

当時のわたしのやり方は、それすらも暴力的だったと思います。
けれど、結果的にはお互いに少しずつ心を落ち着けていって、お互いのことを以前よりは肯定的・受容的に考えることができるようになり、少なくともわたしは彼女の気持ちが少し理解できるようになってきました。

それはわたしにとってものすごく幸いなことです。
なぜなら、わたしは彼女を愛しているから。
誤解したままで憎しみあって離れていってしまうのではあまりにも悲しいから。
正直なところ、彼女の気持ちが理解できてしまうことは、それだけわたしにとって強い後悔や彼女の苦しみへの共感、どれほどわたしが愚かだったかの自覚、そういうものをもたらしてしまうので、できれば気付かないでいたほうがよっぽど楽だっただろう、という気さえします。
でも、それでもなお、気付いてよかった、と思っています。

彼女のほうでは、わたしを「ちゃんと憎む」ことができるようになっただけなのかもしれません。
わたしを忘れ去ることしか、彼女の心の平安を招くことができないのかもしれません。
でも、それならそれでかまいません。
彼女には幸せになってほしいし、そのためにわたしについて彼女がどう思うかということで、わたしのほうが振り回されるべきでもないと思うから。

---------------------------------

補足です。

>彼女のほうでは、わたしを「ちゃんと憎む」ことができるようになっただけなのかもしれません。
>わたしを忘れ去ることしか、彼女の心の平安を招くことができないのかもしれません。

と書きましたが、本当にそう思っているのか、それともわたしのことを肯定的に考えてくれているのか、そういうことは一切わかりません。
なぜなら、彼女から「もう一切連絡してこないで」と言われたから。
その真意もわかりませんが、彼女がどうしてもそうしてほしいのなら、そうしてあげるべきだと思うので、時々気が狂うほど話をしたくなってしまうことはあるけれど、とりあえず我慢できるようになりました(ついここ1年ほどのことですが)。

相手をちゃんと理解するのに、どうしてもお互いにちゃんと向き合って話し合わなければいけないかといったら、必ずしもそういうものではないような気がします。


---------------------------------

「DV加害」と言ってもピンからキリまである。
おそらく、わたしのしたことを聞いた男性のほとんどが「その程度なら」と思うのではないか。
わたしの言い分だって聞いてくれるだろう。「無理もないよ」と。

でも、同じことを聞いた女性の多くが「それは確かにDVでしょう」と思うだろう。
わたしがどれほど苦しかったかを長々述べても「そんなの言い訳よ。だからって暴力が許されるはずないでしょう」としか言われないだろう。
自分でもそう思うし。

そういうことが理解できるようになっただけでも、ある意味かなりの「無茶」をして女に戻った甲斐があったと思う。
もしも仮面の男を演じ続けていたら、自分の嘘をごまかすだけで精一杯で、男のことも女のこともわからないまま一生を終えてしまっただろう。
その間に、もしかしたら犯罪者になったかもしれないし(可能性は低くなかった)、自殺してしまったかもしれない。

わたしの選択は、決して間違ってはいないのだ。

この記事のトップへ
ページのトップへ



★2・Re:「無茶」

>ある意味かなりの「無茶」をして女に戻った

という「無茶」の中身。

わたしは男の子として生まれ、男の子として育てられ、当時(1960〜70年代)としてもちょっと極端なくらい「男らしく」としつけられて育った。
極端:「男子は家事をするべきではない」(笑) だから基本的に家事はほとんどできなかった。(恨みつらみ

思春期に入って自分がそのままでは女の子になんか戻れない、とわかってからは自分でもむしろ積極的に「男の子になろう(でも男っぽくなるのは嫌←矛盾!)」と思い、努力した。
(高校3年生の『原案帳』に「オレはやっぱり男なんだなあ」などと書いている。後で読み返して、そのページを焼き捨てたいと思ったけど)

そういうわけだから、わたしには「女らしさ」なんて、実は微塵も身についてはいない。
実は、そのことでここ数週間かなり悩んでいた。
それに、きっとわたしがここやもう一つの日記で書いていることを見て
「なんだこの文章、まるでただのオヤジそのものじゃないか!」
と呆れている人も多いだろう。

よく「里花さんは女性以上に繊細で女性的」とお褒めの言葉をいただく。
けれど、それにしたって、そんな「繊細さ」なんて、坊やの甘ったれでしかない、とわたしは感じてしまう。
女はもっとどっしりしっかりしているものなのだ。
少なくとも「自分の存在」については。(だから女性の自殺者は男性よりもはるかに少ない)

でも、それでもいいの。
ライブの時にいつも自己紹介でこう言ってるじゃん:
「は〜い、会津里花でぇ〜〜〜す!! こう見えても女でーす♪ とってもとってもとってもとーーーっても男っぽく生まれ育ってしまったけど、女なんでーーーす!」って。

自分らしくあること。
それによって人に迷惑をかけたり嫌がられたりするのでなければ、
それによって一人の人間としてちゃんと生きていけるのならば、
それが平均的に見て「男っぽい」か「女っぽい」かなんて、関係ない。
少なくとも、わたしは自分が「自分らしくある」ことで人に迷惑をかけてはいない。
迷惑をかけるのは、いつも「自分を見失う」時でしかないからだ。

男っぽいのだろうと女っぽいのだろうと、わたしはわたしが自分らしくあることを誇りに思うべきだ。
(ま、たった一つだけ前提があるけど:「自分が女であること」 ま、それは人に見せようと見せまいと変わらないことなので)

この記事のトップへ
ページのトップへ



★3・理由(わけ)

自分を取り戻し始めた理由(わけ):

・8月25日のEXPERIENCEでのライブ、練習も全くしてなかったし調子は最悪だったけれど、それでも歌えたし、歌に込めたい思いがお客さんにも伝わったから。

・続く27日、わたしが昨年所属していたグループ「ERO's Farm」のライブを見て(聴いて)、それがとても良かったから。

Eva Cassidyをもっとカヴァーしたい、と思うようになってきたから。

……なんだ。
やっぱりわたしって、結局「音楽でできている人」なんだなー(笑)

それで大成功するのもわたし次第だし、それで身を滅ぼすのもわたし次第。
だったら、前向きに受け止めて前向きのオーラ出しながら生きていくしかないじゃん。

求む! 会津里花のライブスタッフ! とりあえずはボランティア! でも将来は保証します(あなたの努力次第で)(笑)

この記事のトップへ
ページのトップへ


★表紙へ戻る★  ★#22★  ★#26★  ★セクマイ★  ≪前   次≫   ▲目次▲