- 2004年08月26日(木) 「産む性」への嫌悪
『華氏911』を見て、それからお酒を飲んで帰ってきて、それから原案帳#22でさんざん言いたい放題を言ってたら、残念ながら気付いてしまった。
やっぱり、わたしは「産む性」が嫌いなのだ。
困ったものだ。
小さい頃から嫌いだった。
思春期の入り口のところで、一生懸命「産まない性」の妄想にふけっていたものだった。
いや、「入り口」だけじゃない。
わたしの性的な妄想の中で、「産む性」は常に排除されてきた。
実は「自分が子どもを産みたかった」というのも、本当は嘘だったのだ。
産まない女。(膣もいらない)
産ませることのない男。(っていうかこっちは露骨に「男性器のない男」)
これなら許せる。
男女がまぐわって生殖行為をして、それで結果として子どもが生まれる。
どういうわけか、わたしにはそのことが「気持ち悪い」と思えて仕方なかったのだった。
理性的には「生殖」が生命の最も基本的なことがらの一つであることは理解している。
でも、感覚的にはどうしても「気持ち悪い」のだ。
早熟で、そのことをかなり早い時期に知ってしまい、誰にもそのことを言わずにただ一人黙って「気持ち悪い」と思いつづけてしまったのだろうか。
元パはわたしに向かって
「あなたは父親には向いてない人なの」
と言った。
そうかもしれない。
生まれた子どもに対して、わたしはそれが生命であり一つの人格である、ということを実感したから無条件に愛した……つもりだったけれど、たとえばその子に自分が生殖によって精子を提供した、だからわたしが父親なんだ、とかいう理屈には、納得できてはいなかったのだ。
だからさんざん
「精子の提供者だからといって父親になれるわけではない」
と言い張っていたのだろう。
わたしはいったい、なんなんだろう。
所詮はただの「父親失格者」でしかないのだろうか。
でも、彼が生きていくこれからの時代、この国、この世界を、できる限り生きやすいものにできるためのことをしてやりたい、とは思っている。
直接彼に与えることができるものが何もないだけに、その思いはなおさら募る。
極端なことを言えば、彼が生きやすいようになるためには他の人間は邪魔にならない程度に減ってくれればいい、とさえ思う。
だから「殖えるな」と言っている。そういうところもある。
歪んだかたちの「親ばか」かもしれない。
戦争を極端に嫌うのも、彼に「殺す論理」を身につけてほしくないから、ということがある。
殺す者は殺されても文句は言えない。
わたしは彼に、殺すことも殺されることもなく、生き長らえてほしい。
「他人を蹴落として=殺してでも生き延びる」などという殺伐とした論理で生きてほしくはない。
共生してほしい。
全ての人と。全ての生命と。
自然の命ずるままに命を全うしてほしい。
神さまがその命を取り上げる時にだけは、それに従ってほしい。
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今、[3:29 04/08/27]。
こんな時間にものを考えるものじゃない。
子どもに投影しているだけで、本当はわたし自身がそのように生きたいだけのことじゃないか。
こういう投影も、嫌だ。
わたし自身がさんざんされて、がんじがらめになってしまったものなのに。
親からも。「あの人」からも。
(たぶん、他にもいっぱいそういう目にあっているのだろう、わたしは。そのように育てられたので、そうされても「当たり前」としか思わないことが多いのだ)
でも、もしかしたら、親なんて所詮、自分が生きたかった道を、子どもに歩ませようとすることしか知らないものなのかもしれない。
自分の価値観じゃないことを子どもに与えるほうが、よっぽどおかしい……
願わくば、それが盲目の押し付けになりませんように。
できるだけ独り善がりでないものとなりますように。
神さまは、わたしが生きることを許してくださっている。
きっと。
たぶん。
もしかしたら。
……だめかも。
神さま、どうかわたしが生き延びることを、もう少しだけお許しください……