原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2004年06月10日(木) 少子化問題〜受け入れる発想

(6月9日の日記も書きました)

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原案帳#22
「産まない性を大切にしよう」と書いたら、今朝の朝日新聞に
出生率低下1.29〜政府想定を下回る・経済の活力に影響」
と書かれている。しかも一面トップだよ。

なんてこと。

わたしにはどうしても「人が多いほどいい」とは思えないんだけど。

日本人の人口は、国土面積と適切な(=人間以外の自然環境に悪影響を及ぼさない)人口密度(ってなんとなくでしかないけど)から考えて、7000万人くらいが適切だと(自分勝手に)思っているので、一時的に「経済の活力」が低下してもそれは止むを得ない、というよりいったんは必然的に受け入れなくてはならないこと、と思う。
自分の世代とかすぐ次の世代とかのことだけ考えれば「人口(特に若い人たち)が減る=国力が落ちる」と短絡的に結論付けるしかないのはわかる。

でも、100年後を考えてみようよ。
人口が「順調に増える」ってもしも2億人とかになってしまったら、日本の国土は文字通り人間で埋まってしまって、他の自然環境なんか残っていられる隙間なんてありゃしないじゃないの。
その時代の人たちはきっと「100年前には人口増やすことしか考えられなかった。おかげでこんなにひどいことになった。過去の過ちを反省し繰り返さないようにしなければ」と言っているでしょう。

日本で人口がこれ以上増えるとしたら、それはたとえば食料自給率の破滅的な低下とか、いわゆる「ハコモノ(建築物、道路、自動車など)」の氾濫による気候の砂漠化とか、そういうとんでもないリスクを代償にしなければ支えることはできないだろう。

「年金改革の前提ゆらぐ」などと、いかにも致命的なことのように言われているけれど、それは大きく括ってもあと40〜50年くらいのことでしかないし、それを「危機」と受け止めるのは過去の発想に囚われたまま、現在生きている自分の損得だけを勘定している人たちだろう。

少ない人口で効率よく稼げるようになればいいじゃん。
人間の手だけでなく、自然の恵みに任せて生きられるような価値観を、大人がしっかり考えて子どもたちに伝えていけばいいじゃん。
なんでもかんでも人間自身の手で「管理」してやらなければならないと思い込んでるから、自然が自然のままでいることとまともにつきあえず、それを壊して自分勝手なかたちに作り変えてしまい、……後の時代の「お荷物」を増やしていくんだよね。
アスファルトの道路やコンクリートの建物は「町の自然」を砂漠化させていくものだよ?
昨今日本の気候がどことなく「極端」な感じがするのは、全地球規模での温暖化にも原因はあるけど、その一因でもある日本の都市化に起因する「砂漠化」のせいでもあるんだよ?

人間は、もっともっと自然に対して無力であることを自覚するべきだ。
蚊に食われてかゆい思いをし、病気になればなすすべもなく死んでいく、それが自然に合った姿なのだ。

それをごまかして、人間よりもずっと長い時間をかけて育ってきた森を思いつきだけで破壊して、自分勝手なもの(たとえば誰も使わないような空港とか)を作って、それが「発展」だとか「繁栄」だとかの象徴だと思い込むことで自分の弱さ・はかなさの自覚から逃げる。
いい「大人」の発想がこんなに幼稚なのか、と思わずにはいられない。

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わたしはサルになりたい。
サルの目から人間を眺めると、人間がいかにみっともなく羽目を外しているか、すごくよくわかる。
彼らは傲慢でわがままで幼稚な人間を許容して、自分たちが絶滅しそうになっていくのを黙って受け入れている。
そういう「許し」や「受け入れ」ができないのは、まさに人間だけだ。
事実、霊長類の中で絶滅の心配がないのは現在のところヒトだけなのだ。
それは決して人間が「優れている」からではない。
自然のルールをちゃんと守ることができず、無神経に踏みにじっているからにすぎない。

たとえば、乳児死亡率は人間以外の霊長類では20〜40%。
生まれた赤ん坊の5人に1〜2人は大人になれずに死ぬのだ。
「かわいそう」「なんとかならないのか」と、親になったことのあるわたしも思う。
でも、自然は本来、そういうことをちゃんと計算に入れて初めて、まともに機能している。
どうにかしたいと思ってもどうにもできない、それが自然というものだ。

たとえば、ヒト以外のサルの平均寿命は、どんなに体が大きい種でも40年くらい。
(「寿命」はその種の体格の大きさと、ほぼそれに規定される代謝率で決まっているらしい)
ヒトがヒトとして生きるようになってから、自分自身で作り変えたさまざまな条件のおかげで、たとえば日本人の寿命は世界一(←実はこのせいで出生率が低下していると思うんだけど)。
薬とか医療とかいろんな手立てで「長生きする」ということは、本当に良いことなのか。
死ぬべき時に死ねない、というのは、実はとても恐ろしいことなのではないのか。

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もちろん、わたしも死ぬのはいや。そんなの生命である以上、本能的にそう思うのは仕方ない。
たぶん、あと20年ぐらい余計に生きたとして、その頃になってもやっぱり「今死ぬのはいや」だと思っているだろう。
でも、たとえば病気になって、なんとかして助かりたいと思いながらもどうすることもできずに
「死にたくないよぉ、もっと生きていたいよぉ」と嘆きながら死んでいくのは、それは当然のことなのではないか。
意識というのがあるせいで自分の死を受け入れられなくなってしまったのは、そういうふうに進化してしまったので仕方ない。
わたしは自分の死を受け入れられず、嘆き悲しみみっともなく生に執着しながら、最後まで後悔しながら死んでいくことだろう。
でも、それも仕方ない。
無理に生き延びるよりもずっと健全だと思う。

ああ…… またなんだか書きすぎてしまった。
わたしがもともと言いたかったことは、これだけ。

日本の出生率低下には、ちゃんと意味がある。
(どういう意味かはわたしにもまだわからないけど)
むやみにそれを否定せずに、受け入れて生きていくべきだ。日本人は。


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