原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2002年04月14日(日) もばいる♪ 父の命日

★1・友人宅にて
★2・楽に生きること
★3・父の命日
★4・父性不足



★1・友人宅にて

東京で泊めてもらえるお宅ができた。
ご厚意に感謝感謝〜〜〜〜♪

(今、そのお宅からAirH"で接続してます@ばいおくん)

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★2・楽に生きること

@東海道線/with 「Air H"」

上の記事の続き。
泊めてもらったお宅は、とても古い一軒家を、4人の女の子(純女!)でシェアするかたちで
借りているのだった。
(私はそんなことが現実にできるなんて思ってもいなかった……
ていうか、できるかもしれないけれど、とりあえず私には関係ないや、と思ってた)

ところがところが。
実際に午前3時頃に帰りついてみたら、
確かに他のお部屋には何人かが寝ていて。

家そのものが、なんか「千と千尋の神隠し」に出てくる「油屋」みたいな古さを持っていて、
(戦後すぐくらいに建てられたのかしら? それとも、戦前、戦中?)
それは建て替える前の私の実家の雰囲気でもあるので、
なんだかすごくなじんでしまったし、落ち着くことができた。

私は寂しがりだから、一人で寝るのはもうイヤ。
だからって、いっしょに寝る=セックス、とかいうのもイヤ。
(まあ、女同士でできることなんて「まったりする」程度だから
侵入的になってしまうこともあんまりないんだろうけどさ)

私は私にそういうことへの気付きをくれた友人に、心から感謝したい。

社会復帰したくなってきた。
仕事、したい。


そういうことの全てを、共同生活している4人は「楽にシェアしている」
ようにおもえて、仕方ないのだった。

ああん、もう、どうしよう。
書き尽くせない。

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★3・父の命日

今日は、父の命日です。
私は、だいぶ遅い時間になってしまったし、Fくんとは別々だけど
東京から戻って早々に、お墓参りをすることにしました。

夕方の墓地は、さすがにちょっと恐い雰囲気。
なんとか日の入り前には、と思っていたけれど、すぐ山すそのところにある墓地は、
西向きなので夕日は遅くまで照っていてよさそうなものなのに、
茜色の夕焼けが妙に早めに紫色の夜に塗り変わっていくのでした。

父が存命中からよく使っていた花屋さんに寄って、
赤いカーネーションと薄紫の花(最初スイートピーと勘違いしちゃったけど、
実はぜんぜん別の花だった……名前忘れた(^^;)を買って、
(この花屋さんのことは、いずれ書きたい)
割ととんでもない時間なのにお寺へいそいそと出かけていきました。

お寺の前庭で、水子の供養塔と本殿に深々とお辞儀。
お辞儀をするのとほとんど同時に、
「そういえば、水子にもお参りしなくちゃいけなかったんだ」と
思い出しました。
(このことも、いつか機会があれば……ていうか、もう書いちゃったことあるかな、これは)

さあ、いよいよ墓地へ。
薄暮の墓地は、やっぱり怖いですよ〜。
しかも、まるでお化け屋敷で効果音でも流すかのように、
フクロウの鳴き声が……こ、怖い。

でも、父と母(の分骨)が眠っている場所なので、それを思うと
かえって怖くなくなってしまうのでした。

昨年「新築」のお墓。
これは、Fくんのステータス。
私はもともと「長男」として「家」を支えていくことを期待されたけれど、
早々と家を出てしまったし、挙句に結婚して名字まで失ってしまったので、
(う、しまった、ここ、恨み節入ってる……)
「家の後継ぎ」という古風な習慣は、弟のFくんに手渡されてしまったのでした。
(だから、ホントにホントのこと言うと、
私は戸籍上の続柄も「長男」から「長女」に変えて、
Fくんこそ「長男」になってほしい、と思っているのでした。
でも、そうすると、
……家の「長女」と、〜〜(元パの名字)家の「長女」が結婚してしまったことがある、
ということになり、現状では「同性婚」を認めていないと解釈される日本の法律には
そぐわなくなってしまうのでした。
でも、元パと結婚していた、という事実にも
これからはあまり拘らないようにしたい、と思います)

そのFくんは、(きっと彼もちょっとばかり寂しい思いをしながら)
先にお墓参りをすませていたから、
私はお花も半分くらいにして、
でもお線香はまとめて買っちゃったので、まるごと一束捧げることにして、
お墓に向かいました。

お墓の手前にある東屋で、バケツにお水と柄杓を入れ、
お墓へ。

新築のお墓は、けれども前のお墓の時から立木として植わっていた南天の木が
昔からの我が家のお墓なんだよ、ということを指し示しています。
(確か、昨年が我が家のお墓の建立100年にあたるのでした)
私はお墓にお水をあげ、花を生けて、お線香にめいっぱい点火して、
それから深くお辞儀をしました。
(私はいちおう仏教徒ではないので、「仏様に手を合わせる」というのは
ちょっと抵抗があるのです)
そうして、心の中で父と母にお祈りしました。
(父と母は、私のイメージの中では今ごろきっと天国で、
神さまの足元で何の穢れもない笑顔で仲良くしているのです)

「お父さん、お母さん。
今日はお父さんの命日でしたね。
私は少しずつだけど、自分らしく生きる道を歩き始めましたよ。
一昨日の金曜日には改名申請したし、
昨日はしっかり『男の自分』にさよならできました。
二人とも、私が本当は女だっていうこと、知っていましたもんね。
そちらに行ったら、ゆっくりお話しようね」

「逢魔ヶ時」に墓参りをするなんて、と
お寺さんには怒られてしまうかもしれないけれど、
父と母に報告をするのはぜひ必要なことだと思っていました。

幸い、お参りが終わって車に戻っても、
誰かがついてきてしまった様子はありませんでした。
だいじょうぶ、だいじょうぶ。

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★4・父性不足

(東海道線車内にて……午後遅い時間)

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私は、おじいちゃんに弱い。
なんか「誰でもおじいちゃんならおっけー♪」みたいな

==湘南の美しい海が目の前に広がっているので、ちょっと中断==

……と書いたまま、後が続かないうちに到着してしまいました。
ま、そんなときもあらーね。
っていうことで。
(^^)/~~~


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……と、ばいおくんで書いたのでした。
今日(この記事を転記したのは17日が終わる頃だけど)が
生きていれば今年92歳になるであろう父の命日だからだったのでした。
(だから、本当は「父の命日」の記事より前に転記しておくべきだったんでしょう)

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