原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2001年12月25日(火) オードリー / 「良い二日酔い」 他

★1・オードリー(総集編)
★2・「良い二日酔い」
★3・朝のニュース



★1・オードリー(総集編)……(+ACのことまで話は広がる)

『オードリー』の総集編を見た。今日が第1回目だ。
(でも残りの3回も見つづける根性があるかどうか、ちょっと心配>自分)
『オードリー』総集編→NHK INFORMATION「今週の主な番組」http://cgi2.nhk.or.jp/pr/bangumi/omoban/o1225.shtml

で、急に分かってしまった。
私が最近、演劇に凝りだしたのって、このドラマを見た影響も、けっこうあるのだ。

私は「共感」するのが「好き」だ。
もちろん、されるのも好きだけど、そちらのほうはときどき心の中で拒んでいることがある。
(私、傲慢だからねー……ヤなヤツ(-_-;)
で、で、話を戻そう、まあ、私はACでボーダーで「自他の境界線が曖昧」なので、
他人事なのにそれをまるで「自分のこと」みたいに思い込むことがけっこうあるのだ。
逆に、自分のことは他人事みたいにしれっと分析して平気でいる、とか。
(若い頃よく言われた)
で、また話を戻そう、……っていうか、逸らすなよ、話。
(でも一つだけ気になることを書いたので補足……くどいのは、酔いが覚めてないのね……
「私はACでボーダーで……」とか書くと「差別的な書き方するな」と怒られそうだけど、
日本人は民族としてACじゃないほうがどうかしていると思うし、
ボーダーだって50人に1人の「才能」だと思う。
自分も含めて、「ボーダーっぽいところ」って、とても素敵だと思うもん……って最近すごくそう思う。まじで)
AC→下北沢メンタルクリニックhttp://www.t3.rim.or.jp/~takaha3/ac.htm
↑でも、改めてコンテンツを読んでみたら、「胸を張って」というのはちょっと、という気がしてきた。
正確には、どうやら「アディクション」の問題を抱える家庭〜人格、更に「共依存」の問題、ということみたい。
(本当はもっと勉強したほうがいいのでしょうけれど……)
ボーダー(境界型人格障害)→Dr林のこころと脳の相談室http://www.so-net.ne.jp/vivre/kokoro/index.html

『オードリー』は、「総集編」を年末に流すっていうことは今年の作品なのね。
でも、「このドラマには思い出がある」と語り始めたくなるくらい、
まるで遠い過去のことのような気がしてしまう……そう、ちょうど、「朝の連続ドラマ」なら
『おはなはん』(←ふっ、古い!! 知ってる?)と同じくらい。
(そういえば『おはなはん』のロケ舞台となった「愛媛県大洲市」は、私の母の父方だか母方だかの実家でもあったらしい。
でも、どっち??)
『おはなはん』→思い出のNHK 朝の連続テレビ小説http://ca.sakura.ne.jp/~kamo/drama/asadora.html
愛媛県大洲市→http://www5.ocn.ne.jp/~oozu/index.files/index_r.html

このドラマには、思い出がある。
そう、あれは、私の母が亡くなった頃だった……
私は、夜ニューハーフのお店で働きながら、昼間(大半は寝ていたけれど)僅かな時間ながら
母の付き添いをしていたのだった。
(このことはリアルタイムで書いてるから、読んだ人もいるかも?)
お店が終わって家に帰り、まだ床に就くでもなくぼんやりとテレビを見ていると、
テレビでは「二人の母」を持つ女の子が映画監督として成長していく物語を流しているのだった。

「二人の母」。
私も似た境遇、と言えないこともない。
先方にはそこまでの気持ちはなかったようだけれど、
私にとって年の離れた姉は、まるで「もう一人の母」のような存在だった。
だって、18歳も離れていたんだもん。若いお母さんと子どもと言っても過言じゃないでしょ。
姉は「ものすごくきれい」だった。今は初老のおばさんだけど。
いっとき疑ったこともある。「実はこの人が私の本当のお母さんなのでは」と。
でも、父親が誰なのかわからなかったし、私は紛れもなく「母」とされている人とよく似た容貌だったので、
ほどなくそんな考えは消えていったけど。
それに、その「母」―こちらはやや高齢出産だった―も、私のことを
ほとんど「溺愛」に近いほど、愛してくれた。

「変わり者の父」。
これも似ている。
父は1910年生まれの人間としてはちょっと珍しく(まして片田舎のとりえもない町ではなおさら珍しく)
英語とフランス語がペラペラしゃべれる人だった。
うちにもよく国際電話がかかってきてびっくりしたものだった。
近所の人たちにはほとんど理解できない仕事をし、
(今でも「弁理士」というのがどういう仕事だかわからない人、たくさんいるでしょ?)
午後には着流しでお散歩する。
弁理士→日本弁理士会http://www.jpaa.or.jp/

このように複雑な家庭環境を抱えていた人というのは、第二次世界大戦後特に多かったのではないか。
だって、類型的な「家庭」像そのものまで崩壊してしまうほど、
戦争絡みの成り行きでさまざまなかたちの「家庭」ができたと思うから―主に家族の誰かが「いなくなった」ことで。
(だから、私は「日本人ならみなAC」と言ってはばからないのだ。
戦後の混乱期に、それでも「まともな家庭」を維持していた人たちでさえ、
まさにその「まともな家庭」にしがみつくことでむしろ典型的なACを紡いでいったのではないか。
ある掲示板で「あんたみたいな人間をACっていうんだよ」とか罵詈雑言に使われていたけど、
はっきり言ってその言葉に耐えられない怒りを感じる。私自身が言われたんじゃあないけどさ。
言い返したい。
「そういうあんたもたっぷりACじゃないか。
『AC』っていう言葉を差別語みたいにしか使えない無知をさらして、
そのほうがよっぽどみっともないとは思わないのか」と)

胸を張って「私はACで、もしかしたらボーダー」という私は、
そういう性格のせいか小さい頃から「演技がじょうず」だった。
小学校の頃、弟の前で15分くらいの間ずっと「サルのふり」をしていたら、
弟は私が「本当にサルになってしまった」のだと思って泣いた。
(それは今でも彼の心の中で恐怖の記憶となっているらしい。許せ弟!!)

演劇にせよ音楽にせよ、いつもの自分とは違った姿や音を身にまとって、
それで表現することで、自分の「本性」を「素」よりもずっと的確に人に伝えることができる。
そういえば、12年前に東京から郷里に帰ってきたとき、
「このまま就職(+結婚も?!)なんかしないで、半年ぐらい中途半端にアルバイトでもしながら
どこかの劇団(っていうか実はらせん劇場だったんだけど)に入って
オカマの役(←まじです!ウソじゃないよ!!)をやってみたいなあ」
と思ったものだった。
その思いは、本当のことを言えばかなり強かったのだけれど、
自分でも「あまりにも突飛」だと思って実行しなかったのだった。

「突飛だから実行しない」というのは、大人らしい考えだから本当は良いことなんだろうけれど、
実は私はそんなに大人じゃなかったのだった。

なんだか、あまり古いできごとのように思えて心配になり、調べてみた。
すると、『オードリー』の放送期間は「2000年10月〜2001年3月」だった。
(→朝の連続テレビ小説歴代タイトル&ヒロインhttp://www.asahi-net.or.jp/~BT6K-OGT/a/asadora.htm)
その途中の今年1月、母は息を引き取ったのだった。
まだ1年たっていないのだ。
でも、まるで本当に、古い、古いできごと……遠い、遠い昔のこと……
そんなふうに思えてしまう。

それほど、今年はいろんなことが起きたのだった。

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★2・「良い二日酔い」

昨日、お芝居の打ち上げで、自分としてはかなり飲んでしまっていた。

でも、だって、
・ばらし(撤収)を手伝った……なんか、ほとんど3年ぶりくらいにまともに体を動かした!
 →すっごく疲れた+けれどなんだかとても気持ちよかった
・お芝居そのものを、(昨日書いたように)2回続けて見れた、
 それもある意味「憧れの」らせん劇場のお芝居だった!
 →飲む前から興奮していた
・一緒に飲んだ劇団員のみなさんが、とても気さくでいい人ばっかりだった!
……というような理由があって、気が付いたらビールをコップに2杯か3杯、
更にワイン(かわいいネコのかたちの瓶♪)まで飲んじゃったー!!
私にしてみりゃ十二分だよー。

そんなわけで、典型的な「二日酔い」やってます。
頭が痛い、体が痛い、いっぺんに30歳ぐらい年取った感じ(そんな年齢まで生きてられるか?)。
昨日帰宅してから、何杯もジュース・ウーロン茶・コーヒーを飲み(お腹がばがば)、
トイレにも何度も行き、お湯を浴びて汗と一緒にアルコホルを出し、……

でもね、不思議なことがあるの。

以前……確か2、3年前まで……は、こんなふうに二日酔いになったら、
間違いなく「飲んだこと」「飲んで自分がとった言動」に
「死にたいくらいの後悔」
をしていただろう。
ところが、今はぜんぜんそうは思わない。

もしかしたら、「以前」=会社員という立場、で「酒を飲む」という行為をしていた頃は、
飲んで発散せずにはいられないような「ひずみ」を抱えていたからかもしれない。

それとも、昨年お店に出て働いて、ようやく「酒を飲む」という行為に慣れたのか。
そういえば、本格的に飲み始めた20(+α(^^;)年前から、
既に「お酒を飲む」ということと「前の日に飲んだお酒を後悔する」ということは
ほとんど必ずと言っていいほど「セット」になっていたような気がする。

学生寮の居室で、本当は飲めもしない(だから味なんてわかりもしない)日本酒の一升瓶を抱えて
2、3杯冷酒で飲んではそのまま机に突っ伏して夜中に目覚める、なんてことを
やっていたこともあった。
特にそうしなければやっていられないようなこともなかったはずなのに。

手元に酒瓶があれば、空けてしまうまで毎日飲んだ。
でも、飲むことを後悔するから、滅多に酒を買いたいなどとは思わなかったけど。

ねえ、これって、「アル症」となんだかちょっと似てない?

今はもう違うので、こうやって他人事のように思い出せるし、
「それはアル症に似ている」と決定的な指摘をすることもできる。

でも、そういう状態にハマっていた頃の私は、ただただこう思っていたのだった。

「私は酒は好きだけど弱い。
なぜなら、父が(昔、酒で何かひどい目に遭ったらしく)酒を飲めないから」
(実際、肝臓に「アルコール分解酵素」を持っていないらしいのは事実のようだ。
この苦しみは、飲める人にはわかるまい(-^-;げそっ)

で、飲むたびに、なんでもいいから「後悔」していたのだった。

ああいうおかしな二日酔いに苛まれなくなって、嬉しい。
今も二日酔いだけど、いちおうちゃんと起きていられるし、
昨日飲みながら話したり笑ったりしたことを「後悔」なんてする気にはなれないもん。

それとも、昨日のお酒が特に「いい酒」だったのかな。

……

うん。そう思うほうが、もっともっと嬉しい!

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★3・朝のニュース

またきな臭いニュース。……といっても、一昨日ぐらいのお話。
なんだかこのところ毎年、「天皇誕生日」というと「北朝鮮」からあんまり嬉しくないお祝いが届くようだけど、
今回は「銃撃戦?! ロケット弾?!」だそうで。

ニュースそのものは、実を言うと聞くのもうんざりなので、正確には知らない。
でもまあ、だいたい「そんなこと」が起きてるんだろう、くらいには話がわかる。

「テロ対策」と称して、日本もテロ国家に成り下がるのか。
(武力テロは武力的に対抗するしかない、というのは最低な必要悪だろう。
でも、まるで大手を振って、じゃない日の丸振って応援するみたいな姿勢を国民が示すのは、
「市街地を銃撃戦の戦場にしても憚らない」という意思表示のように思えて、
あえて消極的な発言がしたくなるのだ)

本当は国境とか領土とかが曖昧で、いいかげんに敵味方がうろうろしているのが、
「アジア的平和・繁栄」なのではないのか。
近代になってアジアのほとんど全域(除・日本とタイぐらい?)が植民地にされてしまって
初めて「国境線の確定」が国際問題として認識されたのだ。
つまり、「国境線」などという概念が、そもそも西洋の近代帝国主義からもたらされた「悪魔」の概念なのだ、
とさえ言えるのだ。

ああ、もう一つあった。
東洋でも、なぜかひとり日本だけは、18世紀だか19世紀だかに確立した
「鎖国」という概念で、「国境線」と同じような感覚を学んでいたのだった。

歴史は先へ進めば進むほど、どんどん貧しくなっていく。

私も含めて、40歳ぐらいから上の人たちはこういう考え方には馴染みにくいかもしれない。
でも、私には、あちらこちらで起きる現代的な現象が、
まるで「歴史は先細り」と大声で叫んでいるかのように見えて仕方がないのだ。

こんなことを言う私は「非国民」なのかもしれない。
でも、いいじゃん、「不審船」なんて、放っておけば。
こっちから発砲しなければ、ロケット弾なんて撃ち返してきたりしなかったんじゃないの?

甘い考えで滅ぼされるのなら、それもまた幸せだと思うんだけど。
もちろん、いざ本当に滅ぼされることになったら、私はさんざん後悔して泣き叫び、
じたばたして逃げようと慌てふためくだろう。
その姿は見ていられないほど惨めで憐れで、みっともないだろう。
「甘ちゃん」「無責任」「口ばっかり」
そんなことを言われるだろう。
でも、それが私なんだから、それでいい。そう思う。
こちらから仕掛けたりするよりもずっといい。
せめて、憎しみの連鎖が私で途切れてしまうことができるのなら。
私一人を笑って、それでおしまいにできるのなら。

(悲しいことに、それで生き残るのはけっきょく
「憎しみをそのまま連鎖させる者」だということの解決にはなっていない。
けれど、人間って、それをちゃんと解決できるほど頭良くないんじゃない?
だって、私にもそれをどうすりゃいいのかわからないし、
この世の誰も解決できたのを見たことないもん。
和解すればいいんだろうけど、和解できずに殺しあってしまった後に残るのは
より恐ろしい憎しみを冷静な計算や偽善的な「正義」に置き換えて
「勝利」した者である、という矛盾!

私は何度だって繰り返す。
この世に「あれで良かったんだ」と正当化できる戦争は一つもない。
戦争で勝利した者は、次の時代にはより大きな後悔と敗北を味わうのみ。
貧乏くじをひいて戦いに赴いた者は、どんな栄光に包まれて凱旋しても、
その手に消えない血の色を見て、死ぬまで生き地獄を歩むのだ。
それが「戦う者」の宿命だ。また、そうあるべきだ)

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