- 2000年04月19日(水) 母のこと、父のこと
at 2000 04/19 05:58 編集
(みのりさんに送ったメールからの抜粋+α)
☆今日、母といっぱいお話しました。
(実は、11時半ごろから4時半ごろまで(^^; 母は高齢なのに、よく付き合ってくれた……というより、お互いに止まらなくなっちゃったみたいなのだけれど)
その中で、母がこう言ったんです。
「あなたの気持ちを変えることはできないでしょう。
でも、このままだと、私がヘンになってしまうと思ったから、今はこう思うことにしたの。
あなたのお姉ちゃんが『男の子でなければ面倒みないっ!』と言っていたでしょう?
あなたは、本当は女の子として私が身ごもったのだけれど、
お姉ちゃんの言葉で、途中から男の子になっちゃったのよ。
あなたはお腹の中でとてもおとなしかったから、お産婆さんも『女の子ですよ』って言っていたし、
おばあさんは赤いお布団を用意してくれたのよ。
あなたは、生まれてからしばらく、女の子のお布団で寝ていたの」
優しくて、甘くて、かわいそうな母。
母の心の傷のせいで、私は彼女の「友だち」に育ってしまった。
でも、苦しい思いの中、私の気持ちをとうとう認めてくれたこと、本当に嬉しかった……!!
☆ついこの間、父の命日でした。
父は一人っきりで息を引き取ったのでした。
まるで、父が気に入っていた西行の歌「願わくば 花の下にて春死なん……」のように、
陽光の柔らかな、桜の木が見える窓辺で。
父のことも、母といろいろ話しました。
母と私は、父を巡る「恋敵」だったのですね。
母が「私が看取った」と言うとき、私は苛立ちとも焦りともとれるような気持ちになってしまっていました。
この気持ち、実は「嫉妬」だったんですね。
私は辛うじて「実は一人っきりで死んだんじゃないか」と思って溜飲を下げていました。
けれど、父の死の直前まで面倒を見ていたのは、母。それが真実。
最期は、私が東京に飛び出していて、それって母に勝ちを譲ったことになるのでした。
……
私は、母のためにそうしたのでした。
私が父と母の間にいると、必ず二人の諍いが始まるんだもん。
前は、父だけを恨んでいました。
「私をこんなに抑圧して!!」って。
でも、私を抑圧していたのは、私のような人間の存在を「許さない」かのように見えた、社会そのもの。
実は、社会はそれほど「本当の」私を排除していなかった。
(そりゃ障害は多いけれど、「絶対に存在を許さない」ほどではないんです)
それに、「恨む」っていうなら、弱い立場を演じながら、実は巧みに私をコントロールしていた母のことも「恨む」べき。
今は、二人とも恨んではいません。
母とは、良いお友だちになりつつある(=父を巡って仲直りしている)
父には、霊前(仏壇なんですよ(^^;)でこう言いました。
「お父さん……<そっち>に行ったら、私のこと『ぎゅっ』てしてくださいね」―娘の私を。
母は、「いいよ。それくらいなら、許してあげる」という顔をしていました。
ありがとう。