私的正論。

2002年11月10日(日) 野蛮な感情。

最近yahoo!のニュー速原稿を書く御仁は「ネラッテル」と思う。
受刑者が刑務官に暴行されたいう事件の見出しにしても。
よくよく読むと「ネタかよ!」と突っ込みを入れたくなる。

だってヨ。

「殺されるかと思った」。てのが見出しに入ってんだけど。

この被害者の男性の罪状てのがそもそも「殺人未遂」。
それ、誰の台詞なんだよ、ての。皮肉なら皮肉にもホドがある。





けどその。なんちゅうの。

刑務官が暴行しちゃいかんいうのは、明白。正論。義務。
けど。
他人を「殺しそうになった」人間の人権ちゅうのは。

難しいよな。
守りたい。
が。
守りたくなくもある。


難しいよな。

死刑に反対する御仁の言い分は「えん罪は完全に防止できない」てのと。
更に付け加えれば「人が人を裁く権利を持つのか」てのと。
「更正の機会を与えなくてもええのか」てのと。
まだまだ。もっとあるんだろう。

難しいよな。

けど。

人を殺しかけて刑務所に入った人間が「殺されそうだった」と涙流す時。
てめえがかつて殺しかけた人間が抱いた恐怖についちゃ、きちっと考えたんかな。
漠然とでも、そこに思い至ったんかな。

でヨ。
その受刑者がその感情にゃ至ってねーちゅうんなら、そんな刑務所意味無ェよな。
荒くれモンの隔離施設でしか無ェよな。
隔離された空間で、いかにやすやすと生きてくか。
うまく立ち回ってシャバに戻るか考えて過ごすだけの。

意味無し空間でしか無ェよな。



殺人は悪ィこと。
暴力も悪ィこと。
そいつは無条件。
同じ殺人未遂も、暴力団同士なら良くて、受刑者と刑務官なら悪ィとか。
そんな区別は良かねーと、桜木は考えるが。

殺人にも暴行にもランクをつけてんのが現状で。
赤の他人に殺されんのと親に殺されんのとでは、ランクが違うのが現状で。

その上で、裁判の結果こいつは○○年間服役すりゃ自由の身って。
どれほどシャバで制約受けるにせよ、いずれは自由の身になるってことを。


それを犯罪者目の前にして考えた時、ふと平凡な人間の心によぎる野蛮な感情を。
そこで「許せねーぞ」て平凡な人間に思わす野蛮な細胞を。


社会が完全に否定しちまった時。
そいつはそいつで逆差別になっちまうよに思えてならない。




「殺されるかと思った」いう、速報の短いセンテンス。そいつを、

「お前だって、昔バラしかけた人間に同じ恐怖を与えたんちゃうんか?」

と読み取る人間が居なくなった世の中が桜木は怖ェ。無論の無論、

「だから殺されりゃ良かったんだよ」

ちゅうのも違うがヨ…。



平凡な人間の細胞が野蛮にたぎる、その泡立つような感じを。
完全に否定しちまうような「進歩的な社会」は。

幼女をレイプした男を寄ってかかってくびり殺す社会を。

いずれは否定しちまうんだろうかな。


人間が動物である限り。
野蛮な感情を完全に否定しちまうことは出来ねーだろうに。

虚勢し、虚勢し。

行き場を失った野蛮を放り込む遊技場も無ェまま。



今日もまた一人理不尽な暴力に、誰かが殺されてく世の中かよ。


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桜木



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