私的正論。

2002年07月28日(日) 漂う。

この数日、特に。
仕事関係の人間と、携帯電話で連絡を取り合うことが増えてた。

何をしてる途中でも着信音が鳴る、てェのに。
最初は慣れなくてびっくらする。
基本的にはアナクロな人間の桜木。

けどまーじきに慣れてくると、今度は連絡が来ないと心配になってくる。

ここ数日、ますます物騒な事件もあったしナ。
逃走する凶暴な犯人を追いかけてあわや、ちゅう目に遭うてるかも、等。

で、着信音が鳴ると安心するっての。



人とつながってる感じ、てのは、老若男女シチュエーション関係なく。
人をウキウキさせるもんがあるんだろう。


けど。

そういう状態が長く続けば、損なわれてくもんも確かにある。






たやすく形になってるもんばかり。目の前に積まれてるとヨ。

見えないものを信じる気持ちみてェなもんが。
どこか馬鹿馬鹿しく思えてくることも、あんじゃねーのかナ。


そもそも心は漂うもんで。

容易に文字には置き換わらない。




昔。

いかがわしいてめえのことを、少しでも理解してもらおうと、ナ。
家人の家族に宛てた手紙の下書きを、必死で書いてみたことがある。



けど。

書けば書くほどウソに見えて来る。
気付けば額に汗が滲んでた。

ウソなぞ一つも書く気はねーのに、この指が。
余計な修辞云々じゃ無く。

ホントの心すら、うまく伝えてくれねーような。
ますます相手を疑心暗鬼にしちまうような。
ますます相手を「だまされてんじゃねーか」て気にさせちまうような。


そんな風に思えて来てナ。

結局その手紙は、出さなんだ。ツラ見せに行って。
むしろ書き文字にしたら死ぬほどウソくせェようなこと、面と向かって、言うて来た。






言葉。

特に書き文字は。

結局フリーズドライだ。読んだもんの胸が、瑞々しく蘇らす。








だからヨ。

読み間違えられちゃたまんねーような大事なことは、書き文字にゃできない。
したくない。

それが普通の感覚なのかもしれねーと思う。




携帯電話で連絡取り合いながら仕事して。
いろんな人間の手を借りて責任ちゅうもんを滲ませてく。

仕事だから。
金が動くから。
一人じゃ負いきれねー責任が滲んでく。



けど。
誰より大事な誰かに贈る言葉ってのは。そういうもんじゃねーだろ?


いくつになろうと。
達者になろうと。

心は漂い。
書き文字は危うい。


捕まるような、捕まらねーような。
くらげみてェな、てめえの心を。

逡巡とか。
指の動き。
そういうもんに乗せて伝える技術を。





奪うな。

文字に頼るな。頼らすな。


携帯電話。


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桜木



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