私的正論。

2001年12月07日(金) 「報復」と「死刑」のかわりに。「学校」を建て「荒れ地」には「種」を蒔こう。

ずっと考えてた。



同時多発テロの時「報復はイケナイ」と言う人たちがたくさん居て。

むろん桜木も。
憎しみにかられて人を殺せば、また憎しみを再生産していくだけなのだから。
アメリカの「報復」に諸手を挙げて賛成したい、とは思わなかったけれど。


それならどうすればアメリカ人が受けた傷を癒すことができたのか? と自分に問うても。
ずっと、答えを出すことができなかった。



また。

桜木は。

山口県で起きた母子殺害事件の、残された夫のことも考えてた。

彼は「犯人が死刑にならなかったら自分が殺してやる」というようなことをマスコミに話し、一時は、その発言に対する反響も大きくあった。

けど。
時が過ぎてしまえば、あんな陰惨な事件の記憶すら。
人は心の片隅へと追いやってしまったんだ。


「報復」はイケナイとか。「死刑」はイケナイとか。

ただ人道主義をカサに反対するのは簡単なことだけれど。

所詮「本当に傷ついた人々以外は、事件があったことすら忘れていく」ということを。
それらの「反対ムーヴメント」に参加する人たちはじゅうぶんに意識するべきだと、桜木は思う。



なァ。

どんな町でも郊外に行けば、いくつか大きな工場があるだろう。
そこで働く人々のほとんどは善良な市民。
誰かの父であり母であり。誰かの息子であり娘。

朝は、眠い目をこすりながら新聞を読み、朝食を食べて出勤。
昼は、同僚たちと笑い合いながら食堂へ向かい、テレビを見ながら昼食を食べ。
夜は、めいめいの上着をひっかけて家路を急ぐ。寒くなったなァ。風が強いわねェ、と声をかけ合いながら。

それぞれの家路へ消えていく人たち。


しかしある朝、突然。

激しい轟音と共にその工場全体に炎が起こる。化学薬品が燃え上がり逃げ出す間もなく、ほとんどの従業員が焼かれたと言う。


轟音と炎の原因はテロだったとする。旅客機がハイジャックされ墜落させられたと。



家族のもとにはどんな風に電話が行くだろう。

主人を送り出し洗濯物を干す妻。電話が鳴り、受話器を取ると…。

ご主人の工場に旅客機が落ちまして、激しく燃えています。救出は不可能です。


陰鬱な声が聞こえ。妻は声をなくす。

ご主人が亡くなりましたとも。
どうぞお顔をご確認くださいとも言われることはない。

ただ。

ご主人は、朝、会社に行かれましたね? 今日もご出勤されていますね?

その確認の言葉だけが。たった一つの真実を告げるのだ。

だけどあなたのご主人の会社は今ごうごうと炎に覆われているのですと。
そしてあなたのご主人もたぶん炎に焼かれているのですと。




それは。一体。そんな電話を受けるというのは。一体。



どんな気持ちだ?






事故でも。許せない相手はあるだろう。
しかし「あれ」は事故じゃなかった。
テロだ。
故意の殺人であり見せしめであり。

亡くなった人たちには何の罪もないんだ。
彼らは顔も知られないまま訳も分からないまま「いけにえ」にされたのだ。
そして跡形もなく崩れ去るまで。焼かれたのだ。




同じ日本の。なんでもない町の郊外にあるなんでもない工場に。
もしも同じことが起きたとしたら。
そこで働いていた人たちの家族は、「報復するな」と言うだろうか。



そこで「報復するな」と言える人だけが、真実の平和主義者で。
所詮。桜木なんかは蚊帳の外。
けど。
そこで「報復するな」と。「報復よりも他に道がある」と言える人が居なかったからこそ。


人間の歴史から戦争が消えることはなかった。
「仇討ち」
「見せしめ」
「仕返し」
の論理。

新しい憎しみを生まないためには乳児までも殺害するという、戦国時代の論理そのままに。

かくも長き歴史を重ねたのに。未だに怒りにまかせ髪振り乱している愚かな人間ども、と。

神が本当に存在しているのなら。そんな風に言うのだろうか。




山口県の殺人犯を「死刑」にせよと思う時。
ただ、人は。
「とにかく殺してしまえば、そいつが二度と人を殺すことはないのだから」と思っている。

「死刑」の論理は単純だ。とりあえずそいつを殺してしまえば。
そいつがそれ以上誰かを殺すことはないだろうと。
そういうこと。

けど、「もう二度と殺さない」のは、「そいつ」だけ。

たった一人の「そいつ」を殺すためだけに。
どれだけの税金が使われる?

いろいろ調べてみりゃ。
「死刑」ってのはマコト、ワリに合わない刑罰だってことが良くわかる。

いざ殺す、その日が来るまで。
メシも食わせなきゃならん。洗濯もしなきゃならん。

けどさ。最終的には「殺す」んだ。
そいつの権利も生命も、法律の元に無かったことにする。
そうしてその日が来るまで。
メシを食わせ反省させ。時を待たせる。ただただ、飼い殺す。


まあ。冷静に考えれば、「無駄」なこと。

それならいっそ。
メシも食わせず着たモノの洗濯もしてやらず。
餓死するか身体が動かなくなるか爆死するまで、地雷の撤去でもさせりゃいい。

けど。それは「人道主義」とやらに反するってこと。

はは。人二人の命を無惨に奪った人間にも「人権」があるって。なんだかナ。





まあしかし。

「死刑」も「報復」も割に合わないやり方、てことは確か。

それにどっちみち。
「やられたらやりかえす」的な方法で解決したつもりになってても。
本当に傷ついた被害者の遺族の心は。どうにも癒されはしないだろうし。


それに部外者は。一年も経たないうちに悲劇を忘れていく。
そうしてそんな心のすき間を見透かすように。

悲劇の再生産の担い手が。次の機会を狙っている。




そこで桜木は思うんだ。

殺人が起こったら。その犯人の生涯から学ぶべきだと。
殺人を起こすに至った経緯から殺意の動機から。何かを学び取るべきだと。

殺人者の生涯で埋め尽くされた教科書を。

小学校でも中学校でも高校でも。採用すればいい。






人は。忘れすぎる。あまりにもたくさんの事柄を忘れすぎる。

だからテロにしたってそうだ。
一つ悲惨なテロがあったら。

世界の悲劇を集めた教科書の第一章に、付け加えていったらいい。

小学校でも中学校でも高校でも。テロについての授業をやればいい。

罪のない人たちが突然命を奪われる理不尽について。
それぞれの年頃にみあったやり方で、尊い授業をやればいいじゃないか。



そして授業のあとで、小遣いの中から募金させよう。

大人たちも折に触れ募金をしよう。

殺人事件の被害者とその遺族のために。

テロの被害者とその遺族のために。


小遣いの中から募金をする。そして荒れ果てた大地に学校を建てるんだ。

荒れ地に蒔くための花の種を。
戦争をするしか生きていくすべのない人たちが働くための、畑を耕す農具を。

その金で買えばいい。

そうして。

人の善意は、悲劇ののちに始まったが最後…。
決して止まることはないのだ、ということを。


世界に知らしめろ。






テロへの「報復」を。殺人者の「死刑」を無くしたあとでどうするつもりか。

それを考えたい。命をかけて考えたい。


代案を出してから批判しろ、と。賢明な上司ってのは言うもんだ。




桜木は。「考えるだけ無駄」なコトを考えるのが大嫌いだ。

だから一つの思考にたどり着いたら。何かが変わるような。かすかに変わるような。

そんな自習をこれからも続けていきたいと思ってるヨ。






いつも投票してくれる人。ありがとう。

「好き」と言ってくれた人。ありがとう。

ちっと照れたけどナ。ありがとう。





そして。どんなちっぽけな力でもいい。

明日のために。せめてアタマだけでも使ってこうや。

テメエどものことしか考えてないヤツら。
まあそれも自由かもしれねーんだけど。

時々。アホかとも思ってる。



何のために高等教育を受けてきたんだかナ。

こんなアホウのアジテートにでもいい。乗っかってくれ。

そうして。

その利口なアタマを。世界人類の幸せのために役立ててくれれば本望だ。
思う存分。
こんなアホウのことは、バカにしてくれてもいいさ。


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桜木



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