私的正論。

2001年12月05日(水) 実の親ですら真実の愛をくれるとは限らない。

「醜さ」を憎んだ桜木の苛立ちもまた醜い。

けど。

口をつぐむことはない。誰の唇にも毒がある。

みんなでウワアとやられながら楽しく行こう。

ナニ。誰だって傷つけているし誰だって傷ついているのさ。




大げさなことじゃない。

みんなでやったりやられたりしながら行こう。  そんなにヤワでもないはずだ。


ただし傷つきやすい人間は。ここより先は、シャットアウト。








さてな。困った。


恋と愛の違いについて考えたら。なんとなくわかっちまった。



けど。

愛ってもん。これが難しい。


無償の愛情こそ本当の愛情だって言うけど。
実の親ですら真実の愛、本当の愛をくれるとは限らんのだよナ。


だって「お前みたいなのはウチの子じゃありません」みたいなことを。

小学生のヤンチャ息子相手に言うんでなくて。
マジで自殺一歩手前くらいに病んだ成人後の子どもに言う親だって居るだろ?



ホントは。

親の愛ってのは無償の愛。そして真実の愛のはず。




それは。


「お前がどんなんであれ、受け入れるし。どんなんであれ、お前の代わりは居ない」

て気持ちを、親なら持っているはずだから。




そして我が子の前じゃ、「お前なんかウチの子じゃない」「家名に泥を塗った」と叫ぶ親だって。
心の奥じゃ。

「どんなであれ受け入れる。どんなであれ代わりは居ない」

と思ってるのかもしれねーし。



だからこそ。親の愛こそ真実の愛、て言うのかもナ。






けど。

実際問題、実の親に取り返しがつかないくらい傷つけられる人間も居るもので。




そういう人は。

真っ暗がりを手探りで歩いているようなもんで。





ナニが真実の愛なのかもわからない。

それがどんな手触りのものなのか。
どれほど温かいものなのか、てことも。


わからないから。

ハマってしまう。



言葉だけにごまかされたり。
身体だけに満足させられたり。

暴力を愛と勘違いしたり。


金をせびられることを愛と思いこんでしまったりする。




もちろん実の親ですら真実の愛をくれるとは限らない。

ただし今目の前にぶらさがっているご褒美が愛であるとも限らない。



桜木は。

愛ってのは。


「相手が何かしてくれるから嬉しいとか相手が何か言ってくれるから嬉しいとか」。


そういうもんじゃねーんじゃねーのかな。と思ってる。





そうしてナニもしてもらえなくなったら。サミシイ。悲しい。死にたい。

そんなのは愛じゃない。




愛ってのはもっと懐の深いもん。

愛ってのは。




「ただソイツがそこに居てくれることが世界一の喜び」。てもの。




ちっさいちっさい命がホギャーと生まれて。
そいつを初めてみた時の気持ちは、子のある人ならわかるだろう。

「ただソイツがここに来てくれたことが世界一嬉しい」んだ。




それが親の愛だ。そして。


「ただソイツみたいな人間がそこに生きてたと知ったことがナニより嬉しい」のが。


たぶん。他人に対して初めて抱くホントの愛じゃないかと。桜木は思う。



何々をしてくれるから。
何々と言ってくれるから。
ドコドコへ連れてってくれるから。

抱いてくれるから。
遊んでくれるから。

慰めてくれるから。



そんなんじゃない。


ホントに愛してる人と寄り添ったら。

その人の鼓動が何より贈り物だ。






他には何も要らなくなる。静かな時間。




何かしてほしいことある?
何か足りないことがあったら言って。



ホントに愛してる人にそう聞かれたら。
こう答える他はない。


何もないよ。

何もない。




ただ。そばに居てほしい。


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桜木



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