私的正論。

2001年12月03日(月) 中絶。

今日は重いことについて考える。





中絶について。だ。







しかし。まずはじめにおことわり申し上げておくが。

桜木は、中絶のことについて論じる時は、「自分は中絶をしたことがある」「中絶をさせたことがある」「うちの親兄弟に中絶している人がいる」等のことは明かさない方がいいし、明かす必要もない、と思っている。

「中絶したこと、させたことがない」人は、「しないほうがいい」と言うに決まっているし。
「中絶したこと、させたことがある」人は、「しなければいけない時もあるし、避妊も常に完全であるとは言えない」と言うに決まっているから。

自分の立場を守ったり、己の考え深さを吹聴して溜飲を下げることが目的でないのなら、自分の立ち位置を明らかにしたって意味がない。



どんな正論を言ったところで。

中絶した経験のある人間にしてみれば、その「絶対正論」は毒にしかならないからだ。








桜木は。

望まない子として生まれた子どもが自分の人生を言祝ぐことができるようになるために。

どれほどたくさんの「血のつながらない人々の愛情」が必要か、ということを知っている。


生まれて来たから人生があるんだ。
それは真実。

けど。
とうてい自分の人生の中に、踏みとどまれないくらい苦しい時。


誰もが救われるわけじゃないし。
そのために、無関係な大人たちに出来ることというのは、驚くほど少ない。

金を恵めばいいってわけじゃないから。








桜木に言えることはひとつ。

今。この国ってのは。


「今生きてるすべての人間の権利すら上手に守り抜くことが難しい」状況になってる。

そう。

「確かに望まれて生まれてきたはずの子ども」すら、幸せになれるかどうかわからねー社会なんだ。

悲しい話だけど。望まれない子を受け入れるだけの土壌は、無いに等しい。




乳児院のサイトを見に行った。

たいていの子は、「一時的に育てきれないから」預けられているのらしい。
たいていの子は、それほど大きくならないうちに親元に帰ったり、里子に出たりしているらしかった。

けど。


「確かに恵まれた家庭で望まれて生まれて来たはずの子ども」ですら。

今の時代を心健やかに生き抜いていくことは、難しく思えるのに。

そもそも生まれて来るところからしてハンデを背負った子どもはどうなるんだ?










けどね。

だから中絶OKとか気楽な結論を出す気はねーし。

そもそも結論なんて出す気はねーし。


みんなそれぞれテメエで考えるっきゃねーと思ってる。




そして今。

桜木に出来ることはただひとつ。


少なくとも。

「今、この国に生きているすべての、すでに生まれて来てる子どもたち」が。

どうにか心健やかに育っていけるよう。


大人としての努力を惜しまない、てこと。







大きな家に住んでウマイもの食って、実の親と一緒に居るのに孤独。
そんなのってない。あまりにもおかしな話。

けど。
今のこの国では。     ごくごくありふれた話。








生まれて来た子の幸せと。
生まれて来る子の幸せと。

それは、別にして考えるべき問題?          そうかもしれない。



けど。

とりあえず、今自分に出来ることをしてこうって話。







あと。桜木も。

どこかのネーさんが書いてみえた主張には、諸手を挙げて賛成。

中絶させる金もねー男が、避妊もしねーでセックスなんて。
ちゃんちゃらオカシイ。



と思いマス。


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桜木



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