昨日の自習は、我ながら落第点だった。
ダメだな。やっぱ。集中しないとナ。
けど。あんな自習内容にも関わらず投票してくれた人が居たんだな。
ありがとう。 月並みだけど。これからも頑張ります。
さて今日は土曜日。会社がお休み、て人も多いだろう。
家族サービスであちこちお出かけするには絶好の晴天。
ちっと風は冷たくて寒いが。桜木も午後から出かけるとする。
それにしても最近は。
おもちゃ屋が好きな大人って増えたよナ。
あとディズニーランドに代表されるテーマパーク。遊園地。
今の大人たちは本当に遊び上手。楽しみ上手。
桜木なんかは、おもちゃ屋っていうと、母さんの不機嫌ヅラばかり思い出す。 早く早く。とか。そんなのダメ。とか。
今思うと。
一緒になっておもちゃを触って、あれがいいこれがいい、て言ってさ。 五秒でもいいから楽しんでほしかった。
だってさ。
買ってもらえないのは、わかってたんだ。
ただ、おもちゃの海で。 ただ、楽しみたくて。そこに踏ん張ってたんだ。 ガキの頃の桜木。
何もかも買ってくれ、て言いたかったわけじゃない。
遊園地にしたってそう。すべてに何百回も乗りたいと思ってたわけじゃない。
けど。桜木の親世代ていうのは。もう。楽しみ下手なのな。買い物下手なんだ。
手をつけたらすべて買わなきゃいけねーかも、と思ってるフシがある。 一緒にヘラヘラおもちゃで遊んでたらナメられる、と思ってたフシがある。
遊園地でもなんでも。 子どもがやりたがることを経済的にさせてやれなかったら親としての沽券に関わるとか。
なんか。みょーに肩肘張らないと行楽に参加できなかった、てフシがある。
けど。今の親はみんな楽しみ上手。ウィンドウショッピング大好き。だよな?
昔の親みたいに。
ダサい服で精一杯めかしこんで、遊園地に居ても、なんかちょっと緊張してたり。
いろんなものに「取って食われやしないか」ってビクついてるようなのは、どこにもいない。
何だかさ。
気の毒に思えて、仕方がなくなってくる。
あの頃の。真面目くさった親たちのことが。
理想の大人って何なんだろう。
頭に浮かぶのは安易なアメリカ風のリベラルな両親。
仕事はバリバリやって。母親にもキャリアがあって。スーツをたくさん持っていて。 でも休日は手作りの豪華なランチ。娘と焼くケーキ。 もうじき来るクリスマスのために、オーナメントの形のクッキー。
大きな犬と遊ぶ青々とした芝。庭木の手入れをする父親。
テーマパークに繰り出せば、子どものような笑顔で楽しむ両親。 子どもたちは親のすることを見て、テーマパークの歩き方を学んでいく。
ポップコーンを頬張り風船を買い。
「そんなものは、すぐにゴミになってしまうんだから、やめなさい」
なんて言わないで、つまらないキャラクターのノベリティグッズを幾つも買い。
キーホルダーはその場で洋服につけたり。 帽子はそのままかぶって店を出たり。
けど。そういうのって。みんな「消費型社会」の大人像。
昔。
キラキラピカピカした所では、やけに「見劣り」して見えた大人たちは。
この国の父親母親たちは。
「生産型社会」てのかな。そういう社会における大人像で。
あれもきっと。
素晴らしい理想の大人たちだったんだよナ。
それなら今。
桜木たちの世代は。どんな「理想の大人像」を目指すべきなんだろうナ?
トイザらスやディズニーシーを楽しみ。
チャイルドシートをつけたマイカーのステアリングすら、ひそかに交換。
それは一見。「センス良く自分の人生を楽しむ大人たち」のようだけど。
単純にアメリカ的理想の表層をなぞっただけの。
中身のない「見た目だけの大人像」、て感じがしないでもないんだよ。
テーマパークの中では。
ミッキーと握手したり記念撮影したりする時のイイ笑顔と一緒に。
見知らぬ人との距離の取り方や。
ぶつかったり子どもを騒がせたりした時の謝り方や。
公共の施設で楽しむ時のマナーなんかも。
一緒に。確固たる姿勢で伝えていけたらいいと思っている。
まだまだ大幅に価値観が変わったばかりのこの国では。
子どもの遊びに大人が首を突っ込む時のマナーとか。
あふれる子ども向け商品にどう対抗していけばいいのか、とか。
そういうことがまるでわからない。 なんの手引きもない。
なぞるべき理想の大人がわからないまま。
それでも小さな手を引いて歩いて行かなければならないんだナ。
この。ひどく危うい消費社会の真ん中をさ。
人口爆発とか自給率の低下とかいろいろ。
いつまでこんな贅沢な社会を維持していけるのかって。
正直言って、まったくわからないのに。
公園の枯れ葉をひろって楽しむことだって出来るのに。
きらびやかなモールに心は誘われていく。
まだまだ。こんなんじゃ。
本当の理想の大人には、当分なれそうにない。
これはもう自習ってより。 自戒だナ。
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