2001年11月30日(金) |
子育てに潜む暗闇。繰り返す失敗繰り返す暴力。 |
結婚生活はすずめのお宿のつづらみたいなもんで。
小さいので我慢するのが賢明だ。て前に自習した時に思った。
しかし小さいので我慢してれば安泰ってこともないのが家庭。
子どもがなけりゃ。離婚もある程度はたやすいし。 生活力さえありゃ、たいていの問題は解決できると思うけど。
虐待ってモンについて。
今日。考えてみることにする。そこにある暗い暗い闇に。
光を少しでも当てることができるように。
子育て、ていうと。どういうイメージがあんのかな。
やたら「ふわっ」とした、実態のない、それでいて温かいような柔らかいような。 そんなイメージを持つ人が多いと思う。
新生児用の真っ白いベビードレス。お宮参りの着物。乳くさい匂い。 タオル地のぬいぐるみ。
子育て、ていうと。
母性のイメージとだぶる甘ったるい感じを、思い浮かべる人も多いと思う。
けど。
母性なんてウソだ。まやかしだ。て主張する女も居る。
悲しい気持ちがするけれど。確かに万能の母性なんて無いのが現実。
だってみんな子どもを生む直前までは。セルフィッシュな小娘だったのだものナ。
母性も無いわけじゃないが。万能ではないし。人それぞれレベルも違うし。
それと一緒。
子育ての甘い時間。柔らかな幸福ってものは、決してウソではないが。
子育てという時間には。すべての荒々しい欲望や憎しみをときほぐすほどの力はないし。
幸福感なんて。
少し逆説的ではあるけれど。
幸福な人間だけが、抱ける気持ちだ。
子育てには闇がある。
誰もが目をふさぎたくなるような闇。
それは。
赤ん坊は、あらゆることに失敗する生き物だ、ていうこと。
腹が減ったと泣き出してミルクを飲ませれば。
ゲップに失敗。ミルクを吐き戻す。
残されるのはびしょ濡れの母親と。びしょ濡れで、しかも腹の中はカラッポの赤ん坊。
母親はメゲずに再びミルクを作るが。
またゲップに失敗されたらと思うと気が気じゃない。いや。母親は「赤ん坊がゲップに失敗したら」なんて思ってないんだよナ。
「私がゲップさせることに失敗したら」
て思ってる。そうでなかったらそんなにストレスが溜まることもないだろう。
赤ん坊は。何にもできない。スプーンも持てないし。歩いて便所に行くこともできない。
だからそれを一つづつ覚えさせてく、ていうのが子育てだ。
失敗の連続。
心は、日に日に暗くなるさ。誰だって失敗はツライ。いや。自分が失敗することより。
失敗されること、ていうのが何よりツライ。
夏休み。友達と二人で共同で工作をしてた、としよう。
自分が、紙を切り間違えて、すべてをおじゃんにしたとする。
もちろんツライが。
友達に責められたりそしられたりするのでなきゃ、まあ、そんなに辛くもない。
やり直すことは出来るんだ。いくらでも。
けど。
いくらやり直すことがいくらでも出来るから、といっても。
目の前の友達に、何度も何度も何度も。
失敗され続けていると。だんだんイライラしてくるんじゃねーのかナ。
お前。いい加減にしろよ。ていう気持ちをグッと飲み込む。
それでも、まだいいさ。友達は切り損じた紙を自分で捨ててくれるし。
新しい紙を買いに行くことだって、出来るだろう。
しかし赤ん坊の場合はそうもいかない。
イライラするうちに母親は。二つの感情にさいなまれ始める。
「この子は、どうして言ったようにできないのかしら」
「だけどもしかして、この子が言ったとおりにできないのは、私のやり方が間違っているせいなのかしら」
そしてそこで。
「そんなことはないよ。誰だって失敗するし誰だって一度で成功させることはできないのだから」
と口をはさんでくれる人間は。 あたりを見渡してもどこにもいない。
なんせ核家族で。
いくら友達が多くたって。
年がら年中、一日じゅう、誰かと一緒にいるわけにはいかないもんナ。
赤ん坊が赤ん坊でなくなって来ると。
さらにさらに失敗は増える。
排泄のそそうなんかは、代表的なものだろうナ。
母親のいらだちはピーク。
けど、ひとたびおむつが外れてしまえば。 何にあんなにイラついていたのか思い出せない、と母親たちは言う。
そうして、問題はまだまだ続く。
子どもって。
結局のところ。
自立して一人暮らしでも始めてくれない限りは。
永遠に親に自分の失敗の尻拭いをさせたり。
親の鼻先に「育児の失敗の現実」をつきつけて、ヘラヘラと生きてるようなもんだろう?
家中の料理も洗濯も全部やってます、て子ならともかくさ。
子どもていうのは。基本的に親がかり。そして失敗する生き物。何も知らねー生き物。
賢しい知恵をつけていっぱしの言葉を吐くようになってても。
んじゃー明日からアナタ一人で生きていきなさい。 部屋は借りてやるけど家賃も水道代もぜんぶ自分で稼いで暮らしなさい。
なんて言われたらお手上げ。
けど。そんな手のかかるじゃりどもを育てあげるのが親の仕事。義務。役割。
理想を言えば愚痴も言っちゃならんのだろうがさ。
親はともかく働いて金を稼ぎ。 子どもを養い。 床に広がった牛乳も小便も拭いてやる。
けど。
その繰り返し。そのイライラは。
何かにぶつけなければ消えなくなる、こともある。
そうして。
失敗されたイライラを暴力で解消する、ていう公式が一度でも完成してしまうと。
もう。
過剰なストレスで頭が回らなくなった親なんかは。
その公式に、延々と頼ってくことになるんだナ。
虐待が終わらないのは子どもが失敗を続けるからだ。
そして当たり前だけど子どもは悪くないんだ。
失敗しながら覚えてくのが子どもの仕事だからだ。
子どもが失敗するのは。
たしかに教え方が悪い、てこともあるかもしれないが。
必然なんだ。
失敗は必然。
親のせいじゃない。子どもってのは。ある意味わざと失敗して。
自分の脳細胞に、その気まずさと対処法と次への改善策をたたき込んでいる。
だから失敗は唯一、親があれこれ手出ししなくても済む「ものの覚え方」なのであって。 イライラする必要なんて一つもないんだが。
まあ。そりゃ。 一日に何十回も何かを拭いたり床を掃いたり汚れをごしごし落としたりしていればイライラもする。
だから何か他のことで解消すればいいんだろうナ。
暴力は。 結局のところクセになるからダメなんだ。
いろいろややこしい理由をつけたってしょうがない。
ラクチン過ぎることは依存につながる。
タバコをやめられない人間が多いのは。
火をつけて吸い込むだけで良いからだ。自動販売機が近くにあるからだ。
とかく物事を解決するというのは難しいことで。
だけど欲望を満たすということだって。難しければ難しいほど、本当はイイんだと思う。
ヒマをつぶすのだって難しい方が良かった。
ゲームをしたければゲームセンターまで自転車こいでったり。
だけど今は家の中で布団に入ったまま。スイッチ入れるだけだ。
展開や自分の下手くそさ加減に腹が立ったらスイッチ切ってやり直す。
子どもが何か失敗してイラだったら。ブン殴る。 ブン殴ると黙る。 また失敗する。殴る。黙る。
繰り返し。
まあ。したり顔のマスコミに。
ゲーム世代の安易なリセット感覚が虐待を呼ぶなんて言われると。
ゲーム好きとしてはさ。
何でもかんでもゲームのせいにしやがんな、て腹が立つよナ。
けど。
実の両親に。 段ボール箱に詰められて死んだ3歳の女の子の母親が乗ってた軽自動車は。
「どこいつ」のトロのアクセサリーで。なかなかセンス良く飾られてたよ。
トロをカワイイと思う気持ちと。
我が子を悪魔と呼ぶ心が。
同居する。
家庭用ゲームごときにリセット感覚とやらを植え付けられたのかは知らないが。
我が子すら愛せない。我が子すら道具感覚。 そうして激しい残酷な暴力とコントローラーのボタンを押す力の差も違いも分からない。
そんな人間も。居るんだよナ。
そして日常の中で呆れるほど繰り返される子どもの失敗と。 その失敗に耐えられる心の強さを得ることと。
子を孕むセックスの安易さとが。
特に今の世の中にあっちゃ。あまりにもアンバランスだ。
中絶した人を責めたくはない。
結局のところ男の側の意識。
そしてそんな男を受け入れざるを得なかった女の持っていた心のすき間。
不幸せが。無限の不幸せを呼び寄せる。
誰に止められる?
誰なら止められる?
聖人君子じゃなくても子をあやめずに育てていける環境って、どんなだヨ?
未熟な人間を未熟なまま排出してく装置。
それは。けど。たった一組の夫婦だったはずだろう?
平気で我が子に暴力をふるい殺人する「殺人装置」を生み出したのは。
結局のところは生きた一人の男と一人の女だったはずだろう?
あるいは一人の男にだまされた一人の女。
あるいは一人の男にすがり孕まされ捨てられる他ない人生を強いられた一人の女…。
そこで。
その女を支えてくれるものは何ひとつ。どこにも。無かったのか?
たわけな男に孕まされて捨てられた女なんてありふれた存在だ。
けど。そのほとんどがまぶしいくらい立派に生きてんだ。
何のせいだった?
その空洞の連鎖のおおもとは。どんな不幸せだった?
ああ。見えない。闇が深すぎて。
桜木の未熟な目には。
その闇の奥が見えない。
光を当てたいんだよ。
そこに。だけど。こんなモンじゃまだまだ届かないくらい闇が深い。
無駄って言うか?
無駄って言うな。
ただそこに。 光を、当てたいんだ。
まだ。
終わらない。
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「トロ」の軽に乗ってたのは7歳の子の母親じゃなくて、3歳の子のだった。 訂正。 申し訳ない。気を付けて書くようにしていきます。
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