私的正論。

2001年11月16日(金) 教師は「はじめて出会うすばらしい大人」であれ。

忘れられない一人の教師が居る。

今その教師は桜木の母校の校長になっている。
二十年ぶりにタイムカプセルを開けに行った時に。
同級生の女の子が母校に子どもを通わせているのだが。
学校の駐車場で石を投げて遊んでいるのをその校長に見つかって、校長室でこってり怒られたらしいワ、と話してくれた。

どんな風にこってり怒ったのか見てみたかったなァ。
相変わらずおっかねぇんだろうなァ。

テカテカに磨いた細い棒をいつも持っててヨ。
忘れ物したりアホなことした生徒は、先生の机の横に呼ばれてケツ叩かれるの。
いつも叩かれてるヤツとか居て。
うらやましかったなァ。
愛の鞭、ていうけどさ。
あの先生のは、ほんとうにそんなカンジに見えた。

「**センセエ〜!!!」

って。廊下のはじっこから息せき切って駆けつけたいみたいな。
そういう教師だった。
生きてるうちに一度でいいから会いに行こう。
そんな風に思わせてくれる、教師なんだ。


修学旅行の電車の中で。タバコの煙を口から鼻に抜けさせるやつ見せてくれたり。
音楽担当じゃねェのに、音楽室でエリーゼのためにを弾いてくれたり。
自分の机の周りの床だけピカピカに磨きあげて、うらやましがらせて。ワックスがけの後、みんな必死で床磨いたっけなァ。

職員室も。体育館も。花壇も。駐車場も。トイレですら。

先生が歩いたところはみんな素晴らしい場所に見えた。
世の中は素晴らしいところに見えた。
それは先生が素晴らしい大人だったからだ。
先生が生きてる世の中だ。
素晴らしいに違いないと思えた。

ていうか先生なら。

どんなにくだらない世界だって素晴らしいモノに変えて。
自分がやるべきことをやってから。
満足そうに、あの机にふんぞりかえって笑ってるような、そんな風に思えた。


卒業式の日。
先生はクラスメイト全員に一枚づつメモを渡した。
そのメモには先生が前の日に書いた一人一人へのメッセージが書いてあった。
でもそれは一枚一枚すべて違うもの、というわけではなかった。
同じことが書いてある友人もいた。
だけどそれが感動を損なうこともなく。

一人一人が、その紙に書かれた言葉を宝物にした。


桜木のメモには。

実存的な生き方を。とあった。


実存という言葉の意味も知らない小学六年生に。
そんなメモをくれる教師だった。

いまだに実存というのがよくわからない。
哲学用語だが。
人間が実存するというのはどういうことなのか。
はっきりコレとわかったと言い切れない。


それでも。

実存的な生き方をするゾと心に誓う桜木がここにいる。

先生は、「ものを考えながら生きる人間になれ」とも言っていたナ。

「ものを考えないで生きる人間なんぞ、糞尿製造機みたいなもんだ」

なんてヨ。



先生。大好きだったよ。そして今も好きだよ。

糞尿製造機にならないように生きてくために。


明日も。自習をがんばるよ。


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桜木



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