私的正論。

2001年11月15日(木) 今の親は「動物園で生まれ育って子育てデキナイ動物」みたいなもの。

他人事みたいにテレビでやってるよナ。

生まれた時から飼育係に世話されてきたので、このメスは自分の生んだ我が子を胸に抱こうともしないのです。とかナントカ。

人間だって同じだヨ。今の親たちっていうのは、結局のところ動物園育ちの動物とおんなじなんだ。

まっとうな「群れ」てものを体験してないからネ。メスならメス、オスならオスの「群れ」。幼児期には幼児期の。思春期には思春期の。
習得しておくべきいろんなことを、理屈じゃなくて姿勢や見たまんまで教えてくれる「群れ」が、今の日本には本当に少なくなってるからナ。


青年団なんての。田舎の方や下町に行くと、まだ残ってるところもあるけれど。
オイオイお前のどこが青年なんだヨて言いたくなるような親父が出入りしてて、けっこうオモシロイ場所だ。
あることないこと。上のことから下のことまで。
オモシロ半分に聞きかじってくうちに、だんだん男の子が男になってった。
そういう場所でも、あるらしかった。
虫も殺さぬような顔の美女が影でどんなことやってるか。
あそこンちの女房は何で逃げ出したのか。
あのキザ男は、じつはカツラ。

なんていうくだらないことも含めて。いろんなことを教わることができる場所らしかった。

女にしたら、大昔は井戸端。ちょっとレトロだと婦人会。
近所の子供会。大きいお姉さんが面倒見良くチビを連れて歩いてくれたりナ。
真面目な姉さんからエッチな姉さんまで。
いろんな女を見て、子どもながらに学んでく。
どこかの赤ん坊も、無造作に背中にくくりつけてた。だから赤ん坊なんて怖くない。
おしめも手早く替えて、乳が必要になったら母親のところに連れていった。
乳をやるところもそばで見た。
当たり前のこととして見てた。
「母乳育児の本」なんて買わなくたって。わざわざ読まなくたって。
母乳で育てるのが当たり前。母乳が出るのが当たり前。
そういう教育の場所になっていた。
もらい乳もあったろうし。
どうやっても泣きやまない赤ん坊のあやし方。母親の万能さ。
いろんなものを、女の子たちは目で見て覚えていったろう。

だから子育ては怖くなかった。みんな平気で7人も8人も産んだ。
手が回らなければ柱にくくりつけたけど、虐待とは言われなかった。

男も女も。自分たちが「まっとうな群れ」の出身であることを誇って生きてたんじゃないのかナ。
困ったことがあったら、そこに答えがある、て思える場所。
そういう場所があったから。
気が狂いそう、なんて独り言も。必要なかったのかもしれないナ。



密室なのは。別にマンションや団地の一室に限った話じゃなくてヨ。
今の日本人っていうのは、多かれ少なかれ、みんな密室育ちの密室暮らしなんじゃないだろうか。

人のぬくもり。人とのふれあい。目で見て覚えること。手で触れて感じること。
そういうのから。
なんか、隔絶されちまってるんだよナ。  いつの頃からか。


子供会は形骸化しちまった。ヒマな主婦のオモチャになっちまった。
健全な運営をしてるとこもあるだろうが。
そこにはたまたま、頭の回る、気持ちの正しい母親が居てくれたんだろうナ。

塾の仲間や部活動の仲間。そんなのも、まっとうな「群れ」とは言えないな。
勝ち負けがある。
劣等感。プライド。いろんなものが邪魔をして、素直になれない場所になっちまってる。
スポーツ少年団なんかで、うまく「群れ」的な役割を果たせている場所があるかもしれないが。
まあ。そこにもたまたま、自らが「良い群れ」を経験した親父が居てくれたんだろう。

自分が教わってないことは。
ふつー。デキナイもんだよ。
しかしヨ。だからといってデキナイって開き直っててもしょうがない。

今の親には。今からでも遅くない。まっとうな「群れ」が必要なんだろう。
それを小さなところからでも実現してく努力が、大人としての急務なんだろう。


今の親の、親の、親くらいの時代からすでに。

この国の基盤は明らかにおかしくなりはじめてた。
でも仕方ないよナ。
変化はあって当然。昔のままならすべてヨシ、てこともあり得ない。

だから今の大人として桜木は。
こうして少しづつ思考を整理していきながら。

何かできることはないか考えてる。


ただ漠然と何かが違うって考えてるだけよりは。
少しはマシなことのような気がして。ナ。


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桜木



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