私的正論。

2001年11月13日(火) アンチダイエット論。痩せたブタより太った狼になれ。

その昔「デブであることは罪。ヤセこそ素晴らしい」という価値観をはやらせた言葉に。

「太ったブタより痩せた狼」

ってのがあった。その言葉が言われはじめた当初は、

「金の力で肥え太ってみっともないブタになるよりは、ハングリーな狼であれ」

ていう意味だったのかもしれないが。いつしか。

「太った人間はダメ。痩せてる人間がカッコイイ」

という価値観を言い表し喧伝していく言葉になってったような気がする。

しかしさ。痩せてる人間ってホントにカッコイイのかな。
俳優かモデルになりたいというのならともかく。
誰かに見られて「カッコイイ」って言われるのが目的の人生ならともかく。

フツーの人生だろ。フツーの人間なんだろ。

痩せてればタダのTシャツとジーパンでも様になる、なんて言い方もあるようだが。
洋服を着て見栄えよくなるための人生なのか。
いつなんどきも。
洋服を着て「格好良く見える」ための人生なのか。それだけなのか。


まーそのへんは、ボディビルダーとかにも言えることなのだが。
でもボディビルダーにはボディビルダーだけの特殊な世界観というものがあるので、ヨシとしてもイイ。

問題は。

誰も彼もが「痩せてないとかっこわるい」「デブになりたくない」と過剰な恐怖心を募らせているところだと思う。


だいたい過剰なダイエット…、9号ではすでにデブで7号じゃないと…、ていうようなダイエットが世間で幅を利かせたのだとして、得をするのは誰だろうか。

まず。圧倒的に得をするのは、「今現在痩せている人間」だろう。

生まれつき太れない。あるいは太らないような食生活、生活習慣の家庭に育った、というような人なら、その人は現代の「ダイエット社会」において紛れもなく「勝者」だ。

ちょっと油断すれば、すぐにブクブク太り出す。そんな下々のオンナどもを後目に、梅宮アンナはかつて言い放ったものだ。

「うちには甘いお菓子やスナック菓子をおやつにする習慣がなかったの。だからぜんぜん食べたいと思わない。その点は親に感謝しているかナ」

「今現在痩せている人間」は。

ただ世の中の価値観が、自動的に「痩せている人間こそ素晴らしい」という方向にシフトしてくれた、というだけで得をしているのである。
むろん、中には自ら努力して理想の肉体を手に入れ、現在も努力の上で維持している人もいるだろうが、そういう「努力のひと」にしたところで、

「たまたま、痩せたいという欲求が他のどんな欲求よりも強く、また生活パターン的に自分自身の条件に合致していた」

に過ぎないような気がするのだが、どうだろうか。

たとえば、駅までバスに乗らずに毎日30分から一時間歩くことで自然に痩せた、というような痩せ方があるが、かなり理想的なパターンだろう。
しかしそれと同じことを、自動車通勤の人間がしようと思っても不可能に近い。
あるいはSOHOで貧乏ヒマ無し系の人間であれば、ますます不可能だろう。

また、「痩せよう」と努力してダイエットを始めてはみたものの、思いの外ストレスが強く、挫折してしまうというパターンも多いが、それは別に当人の意志が弱いとかいうことではなく、

「痩せたいという欲求が、他の何らかの欲求に負けた」

からに他ならないのではないか。

しかし、「今現在痩せている人間」というのは、そういう言い方はしない。

「本当に痩せたかったらどんなことがあっても頑張り抜くはずでショ」
「結局意志が弱いんだよネ」
「これだからデブはダメなの」
「結局、身体も心もブクブクにたるんでるんだから」

等々と。このまま一生死ぬまで「勝利者宣言」を続けていくつもりらしい。

彼らは、

「私たちは選ばれた人間。意志も強いし体型も今風だしネ。だからもっと私たちを見てヨ。そしてせいぜいうらやましがりなさいヨ。あんたたちがどんなに頑張ったところで、どうせ痩せられっこないんだから」

と、全身で物語っているわけだ。

しかし。本当に彼らの天下は続くのだろうか。未来永劫その「ビジュアルクイーン・ビジュアルプリンス」の地位は保証され続けていくものなのだろうか。

ちなみに。

彼らの次に、というか、彼らよりもずっと得をしているのは。

ダイエット産業。ダイエット食品からスポーツジムに至るまでの様々な企業さんがただ。
特にダイエット先進国アメリカの場合、ダイエットに関する産業が、その経済の大半を占めているという話も聞かれるのだから、驚く他ない。

世界中には今日食べるものすら事欠く子どもが大勢居るというのに。
食べ過ぎた飲み過ぎたと言って痩せたいと言っては、まだ金を使う人間も存在しているのだ。しかも、その収益だけで何兆? というようなスケールで。


痩せたいとか。デブはみっともないとか言うが。

その価値観がどれほど狭い範囲にしか通用しないものであるか、ということを。
考えたことはあるのかナ。

生活習慣病になるから…、て脅しは、わりと正当なものに聞こえるけれども。
痩せ過ぎの人間よりは、太り気味の人間の方が生存率は高いんだヨ。
太り過ぎは知らないけど、それでも「太れる」てことはある程度健康な証拠だヨ。

それに。

やっぱりどう考えたって、明日食糧供給が止まって強制ラマダンとか始まった日には。
太ってればただ痩せていくだけだけど。
痩せてたら。
死んでくだけじゃないのか。


そもそも。痩せてるだけが取り柄の人間って何の役に立つんだろうネ。

整形して美人になって。フェイシャルエステで肌のキメ整えて。
外反母趾になりながらピンヒール履いて。

なんかそれって。愛人として究極のフェラテク見舞うために総入れ歯になるのと違いはないんじゃないのか。

そんなにチヤホヤされたいのかな。同性にも。異性にも。




このごろ。キレイなお母さんがとても増えたと思うんだけど。
小児科の待合いの前で。ワンワン泣いてる赤ちゃんを、座ったまま抱っこしてる「だけ」ってお母さんも増えた気がするナ。

立ち上がって優しい声をかけて頬ずりしてるお母さん。あんまり見かけないナ。
それでたまに見かけると、そういうお母さんはひっつめ髪でノーメイクで、すげー普段着だヨ。でも赤ちゃんはマッタリ嬉しそうに抱かれてることが多いナ。
おんぶひもでおんぶされてる子もいる。
そういう子のお母さんは確かにオバンくさいけど。
今すべき仕事を今してる、て感じがひしひし伝わってきて、イイと思うよ。

なのに。頬ずりもできないお母さんって何なのサ。よもや化粧がハゲ落ちるからデキナイってんじゃないだろな。
立って赤ん坊抱っこして揺すってあやすような腕力もないのかヨ。

それでいて。二の腕ボワンボワンしてる近所の母さんのこと。
影では、

「ねえ見た? あの腕。ハムみたい♪」

とか笑ってんじゃねぇだろな。


そうゆうヤツラはヨ。   ある意味、痩せてるだけのブタだよ。

ブタが痩せてても意味ねーのにヨ。
痩せてるだけのブタなんだよ。



二十一世紀は。   痩せた狼でも痩せたソクラテスでもなく。

太った狼。太ったソクラテスが流行るんじゃないかナ。





テロもある。飢餓もある。政治不信もある。失業もある。

こういう中で。        どう生きるべきだ?




ちゃらちゃらした洋服着て地下鉄乗って。
急ブレーキでよろついてんじゃねぇヨ。

目障りだ。



何か一大事って時には。ひえだのあわだの食いながら。畑耕さなきゃならん日が来るかもしれないんだゾ。

そんな時代にヨ。

ダイエットのしすぎで生理不順ダノ、タバコの吸いすぎで太った赤ん坊が産めないダノいう「ビジュアルクイーン」なんざ。

ヨメのもらい手、ないっての。




そんな時代、来るわけない?    そうかナ。絶対来ないって言えるかな?



とにかくこれからの時代はネ。
自分の価値観で生きてない人間は淘汰されてく。

実際。周りを見てみなヨ。



主婦太りしてみっともないだの、中年太りかっこわるいだの言われながらも。
地道に子ども二人も三人も育ててる人間が居るだろう?
ユニクロ着ながら笑って生きてる人間たちが、居るだろう?

カッコイイ人間。

学歴も身長も住んでるマンションもみんなお高い人間の方はどうヨ?

この学歴社会を生き延びさせるためには教育費がかかるし育児って手間暇かかりすぎるからウチは一人っ子で、なんて言ってやがるだろ?

夫婦二人で子どもが一人。
それを淘汰と言うんだけどナ。
それも生命の神秘に道を阻まれて、ていうんじゃなくて。
自ら進んで淘汰されてくってんだもの。


100年先の未来に興味がないんだろうな。そういう人たちって。




人間って。もっと骨太でみっともなくて。それでいて愉快な生き物だろ?
違うかな。
少なくとも。桜木は、そう思ってんだけどナ。



アンチダイエット論は、反響が大きかったら、また続けるつもり。
反響がなかったら。
今回でおしまい。

明日は明日の、自習時間。


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桜木



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