samahani
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2007年03月15日(木) 君が遠くに行ってしまうようで・・・

春は出会いと別れの季節である。
なんて、唐突にちょっぴりセンチメンタルに物淋しくなってみる。本当はアメリカに住んでいる期間が長いと3月が卒業シーズンだなんて忘れていることも多いのだけど。

今日、息子(次男)をUSCIS(U.S. Citizenship and Immigration Services=米国移民局)に連れて行った。彼はGC(グリーンカード=永住権)が欲しいと前から言っていて、そのための手続きを進めていたのである。

学校を早退して午後1時の予約に間に合うように移民局に連れて行ったら、20分も前に着き、ほとんど誰も待っていなかったので、1時前には終わっていた。書類に必要事項を記入し、すべての指の指紋を採る。移民局での手続きは、それだけだった。

移民局には市民権を取る手続きをしに来ている人もいる。そんな人に混じって彼が指紋を採られている後姿を、「ママは来なくていいから」と言われ突き放されて遠くで見つめていた。

永住権はあくまでもアメリカに住む権利だから、市民権とは違い日本国籍を失うわけではない。これからアメリカの大学に行き、アメリカで仕事をすることになるであろう彼にはあったほうがよいものだという理解もきちんと持っていたはずだ。

なのに、あとになって言いようもない寂しさが襲ってきた。

長男が日本の大学に行くため、日本に帰って遠く離れてしまった時には感じなかった寂しさだった。それよりもっと遠くに行ってしまったような寂しさだった。

いくら次男が「僕は日本人だから」と言っていても、小2からこっちに来ていて、すでに仕草も習慣もアメリカンで、これからもずっとアメリカに住み、そのうえアメリカ人の奥さんと日本語もあんまり喋れないような子供との家族なんかになったりしたら、私は孫とのコミュニケーションもままならず、そのうち、やっぱり仕事するには、市民権も持ってないとやりにくいとかなんとか言い出して・・・・、と、まだ15歳の結婚のケの字もない息子に、私は次々と勝手な妄想をして勝手に寂しくなっていた。

たかがグリーンカード。私の周りにも(アメリカ人と結婚した人以外でも)GCを持っている人はたくさん居る。

でもそれが、彼が遠くに行ってしまう、最初の一歩のような気がした。親の所為でアメリカに暮らすことになって、彼の人生のそれからを変えてしまったことや、もし彼が本当に遠くに行くことになっても、それは彼の選択だから、私は見守るしかないことなども分かっているつもりだけれど、もしかしたら取り返しのつかないことをしてしまったのかと思うくらいに寂しかった。

書いてるうちじんわり涙がにじんできた。物悲しいのは春の所為ということにしておこう。春は私の一番好きな季節のはずだったけど。


さとこ |mail

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