samahani
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2004年07月07日(水) あのころ 2

(昨日の日記からの続きです)

「ないもの」は、美味しい食べ物や日本語環境ばかりではなかった。私は、自分が自分でないことが悲しかった。日常会話程度は話せても、クレームをつけたり交渉事をしたりというアメリカ生活では欠かせない能力に程遠い英語力では、私はまるで子どもだった。半人前の自分、なんでも夫に頼らなければならない自分を受け入れるには、まだ、諦めも開き直りも足りず、少しばかりのプライドもそれを許せなかった。

なかには、そういう私の気持ちを「よく分かる。私も同じよ」と言ってくれる日本人の奥さんもいたけれど、多くは、数年間の駐在生活だからそんな事を気にしないのか、楽しそうに遊んでいるだけのように見える人たちもいた。

夫がどうしてアメリカに残りたかったのか、日本に帰りたくなかったのか私もよく分かっていた。夫が家族のために働いてくれていることも、いまが踏ん張りどころなのだから、妻として夫をサポートしてあげなければいけないということも、分かってはいた。英語だって頑張った分、すこしずつでも上手くなるのだから努力すればいいと思ってはみた。

なのに、あのころのわたしは、狭い自分の殻の中で「たりないもの」を数えることしかできなかったのだ。


外に出て人と交わり、学校で勉強し始めた今でも、ともすれば、あのころの気持に引き戻されそうになる。けど、なるようになるさ、わたしはそんなにすごい(能力のある)人でもないんだし、なるようにしかならないんだし、といまは思う。


あのころ、何をあんなに思いつめていたのだろう

と、いまは思える。


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